3月18日、長年にわたって機密扱いとされて非公開のままだった米国のケネディ大統領暗殺事件に関する政府文書が「機密扱い解除」となり、1123本のPDFファイルが初めて公開されました。今回のメルマガ『浜田かずゆきの『ぶっちゃけ話はここだけで』』では国際政治経済学者の浜田和幸さんが、この文書から見えてきた米国の諜報機関に関する深い闇について紹介しています。
ケネディ大統領暗殺の機密文書公開でCIAとFBIの対立が明白に
ぶっちゃけ、トランプ大統領の鶴の一声で「JFK暗殺に関する政府文書」の機密扱いが解除されました。
これまでは「国家の安全を維持するため」という理由で公開が差し止められてきたものです。
1963年11月にダラスで暗殺されたケネディ大統領。
その衝撃的な知らせはアメリカから日本へテレビ電波が届いた際の最初のニュースでした。
いまでも当時の白黒テレビの映像ははっきりと記憶に残っています。
この3月18日、JFK暗殺記録1123本のPDFファイルがネット上で公開されました。
とはいえ、6万3000頁に及ぶため、全てに目を通すのは大変です。
そのためか、日本を含めて多くのメディアの取り上げ方は「特段目新しい情報は見られない」というもの。
しかし、単独犯と見なされ逮捕された後、警察署内を移動中に殺害されたオズワルドのソ連やCIAとの関係等については興味深いものがいくつもありました。
例えば、彼がソ連滞在中に射撃訓練を受けたようですが、現地での評価は最低レベルで、「とても使いものにならない」と判断されていたとのこと。
この一点からも、移動中のケネディ大統領の車を教科書倉庫ビルの上層階の窓から狙撃することはあり得ない話です。
しかも、CIAはオズワルドをソ連のスパイと認定しており、その行動を監視していたことも詳細に記載されています。
CIAはオズワルドの郵便物を密かに開封していたことも明らかにされました。
それだけ要注意人物と見なされていたわけで、当然、オズワルドの動きはCIAによって把握されていたはずです。
更に言えば、彼を警察署内で銃殺した地元マフィアのルービーはオズワルドとはしばしば会っていたことをFBIの捜査官が認めていたことも記載されているではありませんか。
ところが、この2人の関係については、詳細な部分が公開部分から削除されているため、真相を知ることはできません。
また、今回の公開ファイルからはCIAがアフリカ、ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカ各地に34カ所の機密活動拠点を維持していたため、ケネディ大統領はそうした海外での非合法的な活動拠点を廃止するように動いていたことも明らかにされています。
恐らく、こうしたCIA潰しに動いていたケネディ大統領でしたから、目障りな存在として暗殺のターゲットになったのかも知れません。
また、CIAとFBIの抗争も示唆されており、FBIのフーバー長官は「実のところ、オズワルドはFBIのエージェントではないか」という噂を必死で打ち消そうとしたことへの言及もあります。
ぶっちゃけ、読めば読むほど、アメリカの諜報機関の深い闇に引きずり込まれてしまいます。
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image by: Walt Cisco, Dallas Morning News, Public domain, via Wikimedia Commons