声の掛け方だけで場の空気が全く変わる
やりたがる人がほとんどいないが、やってみると最高に価値のあることについて書いてみる。
それは乾杯の発声だ。
僕は小学校のとき、日直が嫌いだった。大勢の前で連絡事項を伝えたり、話をしたり、日直の日はずる休みしたいといつも思っていた。とにかく人前で話すのは絶対に避けたいと思っていた。高校を卒業するまではその気持ちは変わらなかった。
大学入試に失敗したので、予備校に通うことになった。行く前は「浪人」という響きがイヤで、絶対に浪人生にはなりたくないと思ったが、行ってみると神奈川県全域からいろいろなタイプの人が集まっており、たくさんの友達ができて素晴らしい場所だった。僕は京都大学を目指していたが、関東には京大より東大を目指す人が圧倒的に多いので、東大志望のクラスに所属した。
浪人生のイメージとはほど遠く、親しくなった僕たちはホントによく遊んだ。生まれて初めての、1時間もの電車通学だったが、行くのが楽しみだった。そして、仲良かった友人たちが、夏になり急に焦り始めた。8月中旬の東大模試に向けて、急に勉強を始めたのだ。昼ご飯もそそくさと切り上げるし、廊下で立ち話を長くすることもなくなった。僕には東大模試は関係ないので、とても退屈な時間となってしまった。
それまで誰かが呼びかける「遊び」に参加していた僕は、そのヒマな時間に、「遊び」の企画を立てることにした。「模試が終わったら遊べるよね」と友人たちに呼びかけた。ボウリングにするか、カラオケにするか、それともバスケかサッカーかなと思っていたのだが、結局出した結論は「飲み会」だった。僕が初めて企画した飲み会だ。
友人たちに呼びかけてみたら、みなとても関心を示した。結局、親しい友人たちだけでなく、クラス全体に呼びかけたら、ほとんど話をしたことのない人たちも参加したいと言ってきた。たしか80人ぐらいのクラスだったが、60人ほどが参加した。模試は3時ごろ終わるので4時からスタート。飲みつけないお酒で酔っぱらい、2時間制を終えて出たとき、まだ日差しがまぶしかったぐらいだ。「幹事」だった僕は、そのとき、緊張しつつ初めての乾杯の発声をした。
翌年大学に入学した。総合人間学部の一期生の受験に失敗して二期生となった。先輩のいない一期生はいろいろな苦労があったらしく、「茶話会」などを開いて二期生を歓迎してくれるとともに、大学生活のハウツーをいろいろ教えてくれた。それはとても役立った。一年後、三期生のために誰がやるんだろうと傍観しようとしたら、誰もやっていそうな気配がなかったので、急遽僕がやることにした。私的オリエンテーションと、懇親会などを開いた。そこで僕は初めて、世の中は自主的な活動で成り立っているのだということを知った。それがないと世界は回らないわけではない。他の誰かがやるかもしれないし、そんなことが起こらなくても何の支障もないかもしれない。でも、「やる」ことは確実に、対象者の未来を変える。「やる」ことは人の人生を動かせる。
挨拶をし、乾杯と叫んで誰かとジョッキをぶつけるときにはいつも手が震えていた。緊張で震えることをかつては恥ずかしいことだと思っていたが、その頃からそれを終えた後にある充実感を知っていった。
「海外放浪ネットワークBEEMAN」の立ち上げメンバーは僕以外に4人だった。でも、乾杯の音頭を取るのは“会長”の僕だけだった。旅先で会った人と「もう一度出会う」ことと、旅先と同じように日本にいても旅人と出会うことを目的とした集まりだったので、毎回いろいろなひとが交差する素晴らしいパーティができた。その口火をいつもいつも切っていたことは、本当に幸せなことだった。もっとも、当時はまだまだそういうのが苦手で「役割を果たす」という意識が強かったと思うが。
回数を重ねまくったので、さすがに慣れた、というのが僕の学生時代の大きな収穫だ。そして、緊張しながらも乾杯を終えただけで感じられる充実感や、乾杯の発声をしただけで、初めて会う人が僕に話しかけてくれるというのが、役得だなと思うようになった。
人が集まるのは面白いことが起こる前提条件だし、そのときにやる声の掛け方だけで場の空気が全く変わるということも学んだ。その後奇跡的に「社会人」になるのだが、「会社の飲み会って面白くない」という大多数の人の思い込みを、「面白いやり方もあるのではないか」と発想を転換できたのはこうした体験が大きい。
「新人だから幹事」と思い込まされている人が多く、後輩が来るとすぐにその座を譲ってしまう人が多い。しかし、幹事こそ場のすべてをコントロールできる最高の役割だ。僕は「つまらない」とされる会社の飲み会で、毎回必ず幹事としてその日を盛り上げるスピーチをした。誰もが窮屈に思うお酌を自然になくすために先輩の反対を押し切って立食パーティにしたこともある。
いろいろなタイプの人を一つの「場」に集めるのが、大学を卒業してからすぐに僕のライフワークになった。夜な夜な飲む時間を、愚痴をいうためでなく、ポジティブなつながりを生むために利用できたのだ。そのすべての「パーティ」の、最初の第一歩に「乾杯の発声」があった。
著者/佐谷恭(株式会社旅と平和・代表取締役)
京都大学卒。世界初のパクチー料理専門店・パクチーハウス東京、東京初のコワーキングスペース・PAX Coworkingを運営。コミュニケーションのある空間をゼロから生み出してきた。企業に限らず生き方そのもののヒントが溢れるメルマガは読めば元気が出る人生のビタミン。
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