劣等感はあっていい
『★セクシー心理学GOLD ~最先端の心理学技術★』第509回(2014年6月18日号)より一部抜粋
◆ 劣等感って…?
さてあなたは現在の自分に満足していますか?
もっと変えたいところはありますか?
おそらくこれ、大半の方が、
「満足していない」
「もっとこういう部分を変えたい」
と思うのではないでしょうか。
実際、アドラー先生よると、この気持ちはすべての人が抱えているそうです。
もちろんですが、自分自身もそう思っています。
この気持ちはもう一生持ち続けるものではないでしょうか。
これをアドラー先生は「劣等感」という言葉で表現しています。
◆ 劣等感は、いいことだ。
劣等感というと、かなり悪いイメージがあります。
しかしアドラー先生は、
「劣等感は、いいものである」
と断言しています。
なぜなら、劣等感はパワーの源になるから。
劣っているという気持ちがあるからこそ、それをなくすために、前向きに動いていく…。行動していく…。
そんな原動力になるからこそ、劣等感は大切だと言ったのです。
たとえば「仕事ができない…」という劣等感を抱えている人なら、その劣等感を解消するために、仕事を頑張る。
「モテない…」という劣等感がある人なら、その解消のために、モテるためのテクニックを学んだり、自分を磨いたりする…。
「お金がない…」という劣等感なら、仕事をバリバリ頑張って、お金を何とか稼ぐ…というような具合です。
すべて劣等感がなければ、何の危機感もなく、行動するエネルギーが湧かない可能性もあります。
たとえるなら、「お腹が空く」のは不快なもので、その不快感を解消するために、人はご飯を食べたりします。
ケガをしたときも、「痛み」があるから、病院に行ったりして、治そうとします。
空腹感や痛みがなければ、そのことに気づかず、死んでしまう可能性だってありえます。
それと同じで、劣等感があり、そこから脱したいと思うからこそ、人は行動をする、というわけです。
これをアドラー先生は「優越性の追求」や「補償」と言いました。
◆ 変わらないものではなく、変えられるもの。
ただこの劣等感ですが、
「成長しえるもの」
であることが、重要な点です。
たとえば
「お金持ちになりたい」
「もっと仕事ができる人になりたい」
とかであれば、行動によって変わりえるので、意味はあります。
しかし
「私は身長が低い。180cmの人に比べて劣等感がある…。180cmにならないと…」
とか、
「私は胸が小さい。Fカップになれないから劣等感を感じる…」とか、
「自分は髪の毛がない。髪の毛が再びフサフサにならないと劣等感が…」
というようなものは、アドラー先生に言わせると「意味がない」とされます。
すなわち、劣等感であっても、変えられるものと変えられないものがある、というわけです。
◆ 変えられないものも、その先は変えられる…?
当然ですが、身長やバストサイズ、髪の毛などは、それこそ基本的には「変えられないもの」です。
変えられないものに関しては、いくら悩んでも無意味であり、それを劣等感として持ち続けることには意味はありません。
それは多かれ少なかれ「受け入れる」必要があり、いい意味であきらめることが大切だと言いました。
ただもちろんですが、美容外科の手術などで変えることができて、そのオペ代のためにお金を稼ぎたい…という、明確な目標が定まっているのなら、それは意味があります。(ただ当然ハードなことではありますが…)
しかしながら、たとえば
「身長が低いからモテない」とか、
「バストが小さいから愛されない」
というような、根本的な劣等感があるとするなら、その「モテる」「愛される」というのは、努力や行動によってリカバーが可能です。
当然ですが、身長が低くてもモテている人はいますし、バストも愛は直結しているわけではありません。髪の毛だって関係ありません。
ただそれを理由にして「だからダメ」と思うのなら、それは今までに話したように、「本当はモテるための行動をするのが面倒くさい。自分を磨いたりするのが面倒くさい。告白するのが大変でイヤだ。だからこそ、それらを理由としてモテない、として動かない言い訳を作っているのだ」ということになります。
いずれにしても、「変えられないもの」は、確かにあります。
しかしながら、「そうでなくてはダメ」では決してありません。
その理由によって「できない」とされている、その先の目的に関しては、いくらでも他の方法によって達成は可能なのです。
すなわち根本的には、行動すれば、変えていくことはできるわけです。
その意味で、すべての「自分はこういう悪いところがある」という劣等感は、変えられるものであり、そしてそれによって行動力が湧いてくる「いいもの」だというわけです。
◆ 劣等感と、劣等コンプレックスの違い。
何にせよ「変えられるもの」という前提のものでは、劣等感には意味があります。
そしてその前提で、劣等感は「いいもの」だと、アドラー先生は言うのです。
重ねて「劣等感」イコール「いいもの」だと考えておいてください。
さて。
ここでアドラー先生は、劣等感の他に「劣等コンプレックス」という言葉を提唱しています。
これは劣等感がありながらも、その劣等感を解消するために何かの行動をしていない状態のこと。
劣等感を抱いたまま、色々な言い訳や正当化をして、あきらめてしまうことを言います。
たとえば先ほどの
「俺は背が低いからモテない」とかがこれに当たります。
また「お金を稼げない」という劣等感があったとして、そこで「お金を稼ごう!」という行動に結びつくわけではなく、そのことをあきらめてしまう状態です。
劣等感を、劣等感のままずっと持ち続け、行動を何もしない…。
そんな心理こそが「劣等コンプレックス」です。
その場合、たとえば成功している人を嫉妬したり、悪口を言ったりすることがあります。
「どうせ成功してるヤツは、ズルいことしてるんだ」
「お金持ちなんて、みんな何か悪いコトしてるんだ」
と話したり…。
または成功者の悪い面を見つけて、悪口を言ったり、また週刊誌などで、成功者の転落の記事を読んで、少しだけスッとする…。
これらの安直な方向で小さく劣等感を解消しようとし、でもだからといってエンドレスに劣等感を持ち続ける状態、これこそが「劣等コンプレックス」です。
◆ 自慢する人は…?
そして逆に「優越コンプレックス」という言葉もあります。
劣等コンプレックスを強く持ち続けることに、人が疲れたとき。
「いやいや、俺は劣等感なんて感じていない!」
というかのように、いかにも自分は優れている人間であるかのようにアピールすることを言います。
たとえば大学受験で失敗した人が、
「俺は地元では有名な高校に行っていて…!」と言ったり。
モテたいのにそのための行動ができない人が、
「私も昔はモテモテだったんだ…!」
などとアピールするのも同じです。
分かりやすくいえば「自慢」ですね。
とにかく自分が優れている、ということを口に出して周囲に伝え、少しだけ自尊心を満たそうとすること。
これこそが「優越コンプレックス」になります。
言うまでもなく、ビジネスで大成功しており、そして今も毎日のように仕事が充実している人は、決して自慢なんてしません。
自慢をするのは、たいていにおいて、現在うまく行っていない人です。
そんなときに、まず劣等感を感じ…。
そしてその劣等感を解消するための行動をあきらめ、それでいて口だけで、劣等感を抱いていないかのようにアピールする。
それこそが「優越コンプレックス」なのです。
◆ 不幸自慢も。
また逆に「不幸自慢」をすることもあります。
「私、昔こんなヒドいことがあったんだ…」
そんな風に不幸を自ら話したがる人もいます。
特に初対面などでも、過去の失敗や不幸などを、延々と話す人も時にいます。
こうすると、「ええー! そんな大変なことがあったのに、今頑張ってるの、すごい!」と言ってくれる人もあるでしょう。
そうすると、本人の劣等感は、ほんのちょっとだけ落ち着きます。
また、誰かが幸せな話をしていたときに、
「あなたなんかいいよね…。私はこんな悲しいことがあったし…」
などと言えば、その幸せに水を差すことができます。
すると相対的に、「自分だけが不幸」という気持ちを解消することもできます。
何にせよ、すべて劣等感から生じているのです。
◆ 周りを攻撃することも…?
また他にも、劣等感の中には
「優れた人間でいたいのに、それができない」
「みんなの賞賛を受けたいのに、それが難しそう」
という気持ちもあります。
そんなときに、「プラスの評価を受けられないなら、マイナスの評価でもいいから受けたい」という気持ちがあります。
おいしい食事を食べたいのは誰にとっても本音。しかし、その食事がまったくできなくなったらどうでしょう。
何も食べないよりは、たとえマズイ食べ物や、腐ったモノであっても食べた方がマシ…。そう思うのに似ているかもしれません。
とにかくプラスがダメならマイナスでも、と考えて、たとえば悪いことをしたり、みんながイヤがることを堂々としたり…。
このように「負の注目を集めようとする」という心理もあります。
すべて、根本は「劣等感」です。
重ねて劣等感そのものは、いいものです。
それを解消するために行動する、原動力となります。
しかしながら、その「行動」をあきらめ、その気持ちだけウツウツと抱えてしまうのが「劣等コンプレックス」。
その劣等コンプレックスの裏返しで、自分は優れているとアピールし、いかにも劣等感がないかのように振る舞うのが「優越コンプレックス」。
そしてそれだけでなく、負の注目を集めようと、悪いことをしてしまうこともある…というのがアドラー先生の考え方です。
根本はいいものであるのに、本人の間違った行動によって悪くなってしまうこともあるのが、劣等感なのです。
さらに一歩進むと「負の注目」レベルではなく「復讐」をすることもあります。
たとえば、わざと悪い人生を進むことで、親に復讐をしたり。
自分の意に沿わない友達や恋人を攻撃することで復讐をしたり…。
そんな風に、過剰な劣等コンプレックスが、相手への攻撃になってしまうこともありえます。
◆ 不完全さを認める勇気。
アドラーの弟子である、ルドルフ・ドライカースは、
「不完全さを認められる勇気を持つことが大切」
と述べています。
何にせよ、完全な人間なんて、一人としていません。
そのため劣等感はあって当然で、劣等感を否定しても何も始まらず、認めることが何より大切だ、というわけです。
とにかく大切なのは、あなたの中の劣等感を認めること。
間違っても、周囲を攻撃したり、自慢をしたりすることで、その劣等感から目をそらすのはやめてください。
それは不幸にしかつながりません。
劣等感を認め、そして解消するために、何らかの行動をするしかないんですよ。
どうか覚えておいてくださいね。
★ 今回のまとめ。 「アドラー心理学3 ~劣等感はあっていい」
○ 劣等感を持っていない人はいない。
○ そして劣等感を抱くことはとても大切。行動の原動力になる。
○ それを認めず、自慢や周囲の攻撃に走ってはダメ。
○ 目をそらすだけではどんどん状況が悪くなるだけ。
○ 行動でしか劣等感は解消できない。
さて、では具体的にどんな行動をすればいいのでしょうか?
それについては、また次回以降で扱っていきましょう。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
『★セクシー心理学GOLD ~最先端の心理学技術★』第509回(2014年6月18日号)
著者/大和まや・ゆうきゆう(精神科医・心理研究家)
あらゆるジャンルの心理学を極めた、セクシーな精神科医たち。あやつる心理学のスキルは1000を超える。「ゾクゾクしなければ人生じゃない!」がモットー。趣味は瞑想と妄想。特技はスノーボード。
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