今にも進路を見失いそうなこの国
『高野孟のTHE JOURNAL』Vol.167(2015.01.05号)
天皇は2015年の新年に当たっての「ご感想」で、こう述べた。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
天皇はその13日前、昨年12月19日の誕生日の記者会見でも、次のように語っている。
「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、後に来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、切に願っています」
「満州事変に始まるこの戦争」と、その後の破滅的な15年戦争の起点となった歴史上の一点をはっきりと指し示したことが、なかなかに印象的である。満州事変は、言うまでもなく、関東軍が政府や大本営の承認も昭和天皇による宣戦の詔勅もなしに謀略を用いて中国側に越境して軍事攻撃を仕掛けたもので、軍の専横に政府が引きずられて他国と戦争するようなことが二度とあってはならないという気持ちを表現したと推測できる。その「戦争の歴史を十分に学び」「平和で健全な国として、近隣諸国はもとより……世界の国々と共に支え合って歩んでける」ようになることが、今年の喫緊の課題だと、誰が聞いても安倍晋三首相に向かって言っていると分かるような形で訴えているのである。
●「紅白歌合戦」でのサプライズ
この天皇の心境を理解してのことかどうかは知らないが、少なくとも結果的にそれと連動するパフォーマンスを、15年が明ける1時間ほど前に「紅白歌合戦」の舞台で仕掛けたのは、サザンオールスターズの桑田佳祐である。
彼の紅白出場は31年ぶりだそうで、しかも、司会の有働由美子アナによれば「2、3日前に急に決まった」文字通りのサプライズだったが、それ以上にサプライズだったのは、桑田がヒトラー風のチョビヒゲを付けて出て来て唄った歌が「ピースとハイライト」だったことである。著作権の関係が面倒なので、歌詞の全文を引用することは避けるので、このサイトで見て頂きたい。
この「お隣の人が怒ってた」というのは中国や韓国のことだろう。「教科書は現代史をやるまえに時間切れ」とは、歴史に学ぼうとしないこの国の教育のあり方への批判で、そんなことだから近隣と「歴史を照らし合わせて助け合う」ことなどできるはずがない。「都合のいい大義名分[かいしゃく]で争いを仕掛けて、裸の王様が牛耳る世は…狂気。20世紀で懲りたはずでしょう?」というのは、20世紀最大の裸の王様だったヒトラーになぞらえて安倍の好戦性を諫めているのである。
このチョビヒゲは、13年の参院選に向けて自民党が作った安倍の顔の脇に「日本を取り戻す。」と大書したポスターを誰かが加工して、安倍の顔にチョビヒゲを描きヘアスタイルをペタンとした六分分けに変えて、「日本を取り戻す」の前に「戦前の」を書き加えたパロディがさんざんネット上で出回ったことを思い出させる狙いからのものに相違ない。実際、サザンがこの新曲を引っさげて活動を再開したのは安倍第2次政権発足の半年後、参院選直前の13年6月で、このパロディ作品が広く話題になっていた頃だった。この曲のミュージック・ビデオでは、バンドの全員が戦隊ヒーロー風の制服を着て、その周りで安倍、朴槿惠、習近平、オバマのお面を付けたダンサーたちが踊ったそうだ(私は見ていない)。
この紅白サプライズには前段があって、12月27日から31日まで連続して横浜アリーナで桑田が年越しコンサートを開催していたその会場に、28日に安倍夫妻が鑑賞に訪れた。桑田は早速「爆笑アイランド」の歌詞の一部を即興で替えて「衆院解散なんて無茶を言う」と唄って会場の爆笑を誘い、安倍をのけぞらせた(が彼は最後まで機嫌よく拍手したりして聞いていたらしい)。そのことは翌朝のニュースに取り上げられ、ここから先は想像だが、それを見た紅白のプロデューサーが話題づくりを狙って「横浜ライブ会場からのナマ中継でいいから桑田に出て貰うよう交渉しろ」と言ったのだろう。中継なら、リハーサルもなしのぶっつけ本番だし、チョビヒゲを付けて出るのをNHK 側が制止することも出来はしない。その一瞬の隙を突いた、紅白乗っ取りの巧みなゲリラ戦術だった。
一杯飲みながらぼんやり紅白を観ていた私は、この歌を聴いて、長渕剛がイラク戦争に自衛隊が派遣されたことを捉えて「JAPAN」という曲を出し、「Oh, Japan! Where are you going? ……『平和な国だね』と友に語れば、『堅い話はおよし』と誰もがすり抜けた。文化は地に堕ち歴史は教訓ならず」と唄ったのを思い出した。その日の紅白で彼が唄ったのは「明日へ続く道」で、「諦めないで、超えてゆけそこを、超えてゆけそれを、例え突っ伏して倒れても、何度でも立ち上がってやれ!」という被災地への励ましの歌で、力が籠もったすばらしい演奏だった。そう言えば、福山雅治もライブ会場からの中継出演で「クスノキ」を唄った。長崎の被爆者2世である彼が「長崎出身のシンガーソングライターしか書かないし唄わないから」と言って発表した、長崎の爆心地で丸焦げになりながら奇跡的に蘇って2年後に葉芽を出した巨木を主人公にした昨年の新曲で、これも原爆70年に相応しい選曲だった。「もつれ絡まったイデオロギー、正義と正義が衝突する、清算できない歴史に建つ、砂上の平和に…、気付いたら、目覚めたら、それが合図さ、まだ間に合う、理想への挑戦者でいたい」──。
それで、元日の朝日新聞の何と4ページに及ぶサザンの10年ぶりのニューアルバムと全国ツァー予告の広告を見ました? ニューアルバムの頭は「平和の鐘が鳴る」。「今の私を支えるものは、胸に温もる母の言葉。若い命を無駄にするなと、子守唄を歌いながら。過ちは二度と繰り返さんと、堅く誓ったあの夏の日。未だ癒えない傷を抱えて、長い道を共に歩こう……」ですって。ノーベル平和賞候補になるんじゃないのか。
桑田も長渕も福山も、そして天皇も「歴史に学べ」と訴えているというのに、学ばないどころか、戦後70年積み上げられてきた普遍的な歴史理解を、ちゃぶ台を引っ繰り返すように転覆したがっているのが安倍である。側近の萩生田光一=自民党総裁特別補佐が「70年という大きな節目の年を日本の名誉回復元年にすべきだ」と言い放っている(正論2月号)とおり、恐らくは8月15日に、「村山談話」を否定することは出来ないにしても事実上、換骨奪胎的に修正する「安倍談話」を発表して、お祖父さんが戦ったあの大東亜戦争は侵略戦争などではなかったことを内外に宣言することこそ、安倍にとっての今年最大の課題である。
その勢いに乗って9月自民党総裁選で再選を遂げ、その任期3年間を改憲に捧げる。1年がかりで改憲草案を仕上げて、その間に16年夏の参院選では、衆参両院で自民党単独で3分の2の議席を確保することを狙ってダブル選挙の賭けに打って出て、改憲を実現し、それが成功すれば、自民党総裁の3選禁止規定を変更して(それは簡単でしょう、何と言っても自民党結党以来の悲願を達成した歴代最高の総裁になるのだから誰も文句は言えない!)18年に3選を果たし、2020年東京五輪の開会式で世界の賓客を迎えたい……。
第2次大戦前の最後の五輪となった1936年のベルリン五輪では、その3年前に政権を奪取したばかりのヒトラーが、「アーリア民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会」と位置づけて、国の総力を賭けて準備し、さらに米英などがユダヤ人迫害を理由に参加ボイコットをしようとしていたのに対し、反ユダヤ人政策を一時的に隠蔽してまでその成功に注力した。まさかそこまで安倍がヒトラーを見倣おうとしているとは思えないが、しかし、“名誉回復”に成功し改憲をも達成して自立的な軍事国家として日本を再生させた指導者として東京五輪のホストに立って、世界中から祝福を受けたいという夢を、彼が抱いていたとしても(彼の知性水準からすれば別に)不思議はない。
しかし、予め結論を言えば、彼のこの夢は実現しない。安倍はすでに、中国、韓国はもちろん米国でも欧州でもロシアでも「歴史修正主義者」の烙印を押されていて、ここでもし安倍が過激な「安倍談話」など発表しようものなら、国際社会による「日本包囲網」の形成が始まってこの国は孤絶する。本当に求められているのは、歴史修正主義者すなわち戦後世界秩序への挑戦者という疑念や警戒をきっぱりと払拭するような談話であるはずだが、取り巻きやネトウヨを失望させ離反させるようなことを安倍が言える訳がない。結局、国際社会と国内偏狭右翼の両方からの批判を避けようとして中途半端に終わるのが落ちではないか。
『高野孟のTHE JOURNAL』Vol.167(2015.01.05号)
著者/高野孟(ジャーナリスト)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊。2002年に早稲田大学客員教授に就任。05年にインターネットニュースサイト《ざ・こもんず》を開設。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
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