関西以西で嫌われていた「納豆」が、食卓にあがるまでの苦労話

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どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、著者の少年時代に朝夕現れた納豆売りの話から、やはり少年時代に手作りしたこともあり、郷愁の食物誌の代表的なものの一つにあげる「わらつとの納豆」の話など、かつて生活に密着していた「納豆のものがたり」が綴られています。

納豆ものがたり

少年時代、朝夕、納豆売りが来た。豆腐屋はあのププーという共通(?)の笛があるが、納豆売りにはそれがない。掛け声をそれぞれ工夫していたように思う。“ナットッナットー..”調子を言葉ではうまく表現できないが。“イトキーー..ナットッ..”というのもあって、イトキーーとかなり長く延ばし、ナットッと短く添えるような感じだった。子供の私はよくわからず、それが“糸引き”の意味だとわかったのはだいぶ後のことである。

“イトキーーナットッ..”と自転車でよく連呼してやってきたこのおじさん。朝夕早くは新聞を配り、時間をずらして納豆売り、昼間の時間帯は夏ならアイスキャンデー売り、そのほかの季節は城山公園でボンボンなどを売っていた。家族で行楽している時など、城山で商売しているところに出くわし、“これしか脳がないもんで…”と頭を掻いていた光景が思いだされる。一家が長野市で暮らしていた、戦後、街全体があか抜けせず、まだまだ貧しい時代のことである。

私が過ごした信州でも、納豆はごくありふれた食べものだった。その納豆が、今はだい違ってきているだろうが、特に関西以西では嫌われ、ついぞ見たことも、口にしたこともないという人々が大勢いるなんてことは思いもよらなかった

納豆は、確かにやっかいな食べものである。箸に、ちゃわんに、そして口のまわりに、ときには指先にもベタベタネバネバと糸を引いてまとわりつく。食べ終わった食器のありさまもはなはだよろしくない。後始末も大変。めんどうだしネバネバがなんとも気持ち悪い…と、潔癖症の人の中にはなかなか口に出来ない人も。

思うに関東圏の人には、納豆とは、“こうしたもの”というものわかりがあるが、関西圏のひとたちには、伝統的(?)にどうにも相入れぬものがあるのかもしれない。あるいは納豆なぞ、人間の食べるものじゃないというような潜在的な意識さえあるのかもしれない。

かくして西日本の家々では、“関東では食するらしいが、納豆なぞ決して口にしてはなりませんよ”というような不文律の伝承さえ何代か伝えられてきたケースもひょっとしてあるのでは……。

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