ここ数年、日本でもブームとなっている台湾スイーツ。中でも太陽の恵みをその実に凝縮させたかのようなアップルマンゴーは、多くの人を魅了しています。そんなアップルマンゴーが台湾の名物となったひとつの要因に、「日本の統治」があったようです。台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、先日亡くなった「台湾のアップルマンゴーの父」と言われた男性のニュースを引きながら、日本が台湾農業に与えた大きな影響等を紹介しています。
※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2018年6月7日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。
【台湾】アップルマンゴーの父が残した日本の作物技術
● “アップルマンゴーの父”鄭罕池さん死去 頼行政院長が追悼/台湾
現在、台湾の夏の風物詩のひとつにマンゴーかき氷があります。マンゴー果肉を贅沢にちりばめたこのマンゴーかき氷は台湾で人気に火がつき、日本でも今や若者を中心に人気を得ており、主に東京ですが台湾式マンゴーかき氷を出す店も増えています。このかき氷は、マンゴーの生産が盛んな台湾で、台湾産マンゴーの活用法のひとつとして誕生したものでした。
そして、台湾で盛んに栽培されているマンゴーは、皮がリンゴのように赤くなることから「アップルマンゴー」と呼ばれる品種で、台湾の原生種ではありませんでした。台湾にアップルマンゴーを持ち込み、栽培に尽力した人物が鄭罕池という人物であり、その方が亡くなったというニュースが台湾で流れました。頼行政院長も彼の死を悼み、彼の功績を惜しみなく評価しています。
台湾が今のようなマンゴー天国になった背景を知るには、日本統治時代まで遡る必要があります。日本統治時代、台湾の農業は惨憺たるものでした。日本統治時代に、多くの日本人研究者や日本人技師らが台湾の産業を向上させるために貢献したのです。