1990年代、日本を席巻した音楽ダンスユニットTRF。その中心メンバーで、ダンス界のレジェンドとも言えるSAMさんが6月13日、有料メルマガ『TRF SAM 「メルマガでしか言えない、年齢に勝つトレーニングの話」』を創刊しました。今年でデビュー25周年を迎えたTRFの「意外な結成秘話」や「小室哲哉さんとのこと」、そして自身の名前の由来など、SAMさんご本人にいろいろとぶっちゃけていただきました。
SAM本人がぶっちゃけ! TRF結成秘話
──まずはTRFデビュー25周年おめでとうございます。四半世紀という長きに渡って活躍しているTRFですが、意外にも結成当初のことは知られていないと思います。一体、どのようなきっかけでグループ結成となったのでしょうか?
SAM:当時(1990年)、フジテレビで放送していた「DANCE DANCE DANCE」という、最初の半年はダウンタウンが司会で、後半の1年間はそこにラッパーとかも加わってたダンスコンテンストの深夜番組があったんです。TRFを結成する前に、僕とCHIHARU(チハル)とETSU(エツ)は、その番組でレギュラーダンサーをやっていて、僕は、審査員もやっていました。
番組の中では、MEGA-MIX(メガミックス)というグループだったんですけど、その番組が終わる頃、小室哲哉さんから番組のプロデューサーに、リーダーの僕と「話をしたい」と連絡が入ったんです。番組が終わるのに合わせて、MEGA-MIXとして渋谷のクラブクアトロで卒業公演みたいな最後のライブをやったんですが、それを小室さんが見に来てくれて、終わった後に楽屋で話をしたんですね。そのとき「普段どんな曲で踊ってるの?」って最初に言われて、「既製の曲で踊っています」と答えたんですが、「オリジナルの曲で踊ってみない?」と誘われたんですよ。
──小室さんとの出会いは深夜番組がきっかけだったんですね。しかも、僕のオリジナル曲で踊らないか、と。
SAM:ただ、MEGA-MIXは、ダンサーがしっかりメインになっていこうというポリシーを持っていました。「歌手のバックでは踊らない」というポリシーですね。そのグループに対して、オリジナルの曲をくれると言ってくれたんで、大喜びしたんですよ。「ぜひお願いします!」と答えました。その後、何も細かい説明がないまま2~3ヶ月が過ぎた頃、小室さんから突然「ちょっと、みんなが聞いてる曲をまとめたものが欲しいんだよね」って連絡が来たんです。
──当時、全部で何人くらいのグループだったんでしょうか?
SAM:男5人と女の子3人で、メンバーは8人いました。それぞれがマイベストのカセットテープを編集してきて、小室さんに渡すことになったんです。そのとき、小室さんはまだTM NETWORKをやっていたんで、レコード会社はソニーに所属していました。だけど、「エイベックスと何かやる」と決まっていたらしく、特例で「ソニーに所属しながらエイベックスでやる」ということだけチラッと聞いていて、そんなもんかなと思ったのは覚えてるんですけど。
小室さん、それは……。想定外の事態が次々発生
──小室さんに、普段何を聞いているか編集したテープを出すなんて、ものすごく緊張します。しかも、まだTM NETWORKをやってたという。
SAM:小室さんは当時、赤坂プリンスホテルに住んでいたんですけど、そのロビーで待ち合わせました。僕らはメンバー8人で、ソファに座ってずっと待っていたんですけど、約束から1時間経過しても降りてこない。やっと降りて来たと思ったら、彼女と手をつなぎながら「ごめんねー」って(笑)。そこでメンバーそれぞれのマイベスト曲を渡したら「じゃあ、ちょっとこれを聞いてからレコーディングするからさ。また連絡するよ」と言われて別れたんです。
それから、またしばらく連絡なくて、3ヶ月後ぐらいですかね、忘れた頃に電話がかかってきました。その頃は携帯とかもなくて、夜11時くらいに小室さんから家の電話にかかってきて「今レコーディングしてるんだけど来ない?」って言うんですよ。もちろん「行きます!!」って。自分たちの曲なんだからと、仲間2人を誘って3人で行ったんです。
──すごいですね、次に会ったのが、もうオリジナル曲をレコーディングしてる最中という。
SAM:スタジオに着くと、ちょうどレコーディング中だったので、もうガンガンに音が鳴ってて。そこに「失礼します!」と入ってミキサーの後ろ側に3人で座りました。スタジオでは、テクノがガンガン流れていたんですね。僕らは当時、ドロドロのヒップホップとか、アシッドジャズとか、そんな曲で踊ってたんです。テクノとかユーロは、もう絶対に拒否してたんですよ。「マイベストのテープも渡してたし、これは俺たちの曲じゃないよな。たぶん終わったら聞かせてくれるんだよな」と思ってて、おとなしく座っていたんです。
しばらくして音が止んで、小室さんが、ようやく後ろを振り返って「…こんな感じになっちゃった」って、もうギャグですよ(笑)。こっちは、ズルっとコケるみたいな感じで(笑)。それから今度は、奥のブースから女の子が1人出てきて、「ボーカルのYU-KI(ユーキ)です」って(笑)。
──それはズッコケますよね(笑)。しかも、マイベストのテープを渡していたにもかかわらず。
SAM:もう頭ん中、真っ白ですよ。「えぇぇぇ~! ボーカルってどういうこと!? テクノでボーカル?」って。でも「あぁ、はい、こんにちは」みたいな感じで挨拶して(笑)。そのまま小室さんに「また進んだら連絡するね」って言われました。
その帰り道、男3人で深夜3時くらいの築地の道をとぼとぼと肩を落として帰りながら「どうしようか?」「どうする? テクノだよ」「ボーカルってなんだよ」「これどうする? やめる?」って(笑)。断ろうっていう話も出たんですけど、「とりあえず、ひとつの仕事としてやっていこうか。せっかくだから」ってなったんです。
──なるほど、TRFはそんなスタンスでスタートしたんですね。とても意外でした。
SAM:それから、しばらくして「アルバム作ってるから、メンバー全員で来て」と連絡があって、コーラスをレコーディングしたりしたんですよ。そのとき、12月に横浜のベイサイドクラブでファーストライブをやるという話が出ていて「ベイサイドでやります! このグループは今まで日本にはない画期的なグループで、ドカンと大きくデビューライブやります! お金かけてやります」って盛り上げてたから、どんな凄いことになるんだろうと思っていました。
そこで、ライブ前に皆で合宿しようといって、そこから小室さんと密に連絡を取るようになったんです。三重県の「ねむの里」っていうところで合宿すると言われて、小室さん含めてみんなで行きました。「ねむの里」のリハーサルスタジオで僕らが振り付けをしたんですね。そのとき、YU-KIちゃんはレコーディングしてて。夕食の時だけ小室さんと一緒に食べて、そのときにちょっとだけ話すという感じでした。だから「別にここで合宿しなくてもいいな」って思いながらも1週間ぐらい合宿して、衣装はベネトンが協賛に入っていたんで、そういう衣装を選んだりしていましたね。
──小室さんも一緒に合宿というのがすごいですね、初めて聞く話ばかりで感動しています。
SAM:ベイサイドクラブでのライブが近づいてきて、リハ行く前にフライヤーを見せてもらったんですけど、ものすごいかっこいい、きらびやかな写真で。後ろからサーチライトがワーッと空に向かって伸びている、そんな感じだったんです。で、実際に行ってみたら普通のクラブで「えぇぇ~、違うじゃん」って(笑)。
お客さんは基本、TM NETWORKのファンでしたね。それでも年末から1週間、年明けに1週間、全部で2週間ほどライブをやって、ファーストアルバムをリリースしたんです。そのライブの時に、初めてTRFって言う名前を見たから「TRFって何?」って読めなくて。「これはタルフ? トルフって読むの?」という感じだったんですよ。
僕たちは「歌手のバックで踊らない」ということをポリシーにしていたので、合宿で振り付けを作るときも、小室さんに「ボーカルの後ろにはいたくないんです。ボーカルを後ろにしていいですか」とお願いしてました。
──当時、ボーカルが後ろに立つというグループは前代未聞ですよね。
SAM:実際のライブでは、YU-KIちゃんに後ろに立ってもらったんです。フロアがあって、フロアの前にコーラス用のマイクが5本あって、そこにダンススペース。当時はDJが2人いたんで、 DJブースが2つあって。そして、小室さんのキーボードセットがあるという形でした。フロアの1番後ろのお立ち台にYU-KIちゃんが立つんです。それでライブやったんですけど、やっぱりしっくり来なくて(笑)。ボーカルが後ろにいて、自分たちがコーラスを歌ってるのに前にいるというのは何か違うな、みたいな(笑)。そこからはいろいろ話し合って変えていきました。
ファーストアルバムは、まったく話題にならなかったんです。でも、その後5月くらいに「次のシングルができた!」って言われて、これが「EZ DO DANCE」だったんです。スタジオで聞いたときに「これはかっこいい!」と思いました。「小室さん、これは絶対売れますよ!」って。そこからシーブリーズとのタイアップが決まって、ダンサー8人、DJ2人、ボーカルを入れて全部で11人でシーブリーズのCMを撮りにLAに行ったんです。
SAMの名前の由来とは? 真実を公開
──なかなか聞けない結成秘話、ありがとうございます。これ以上の言えないレベルの話はメルマガ内で読めるということで、そこも楽しみにしています。ところで秘話といえば、SAMさんのニックネームの由来、ネット上ではいろいろな説が流布していますね。
SAM:これは、ウィキペディアに載っている内容で合ってます。高校1年生の冬に家出したことがあったんですよ。当時、ディスコに行きたくて行きたくてしょうがなくて。でも、やっぱり高校生なんで、夜中に抜け出すわけにもいけないし、こっそり行ってたんですけど、それが親にばれて家出したんです。
でも、怒られると思って、2週間ぐらい家出をして、当時よく行ってた埼玉の大宮の「モップス」っていうスナック・ディスコによく行ってたんで、そこに転がり込んだんです。「バイトさせてくれ」って言って。その「モップス」で、そこの店長に名前をつけられたんです。
真冬に着の身着のまま、Tシャツに革ジャン1枚で飛び出して、お金も所持金5000円だけだったんです。もう寒くて。バイトが終わった時にいつも「寒い寒い」って言ってて。それで、バイトしている時に、クリスマスパーティーを店でやるっていうことがあって、皆で、じゃぁちょっとあだ名をつけようぜ、みたいなノリになって。「お前は寒い寒いって言ってるから、SAMだ」って、そんなノリだったんです(笑)。
ジムに行かなくても年齢に勝てる!
──今回のSAMさんのメルマガは、年齢に勝つトレーニングと言うタイトルなんですが、SAMさんは、実際に年齢を感じたことはありますか?
SAM:ありますね。45歳を過ぎたあたりから、キレがなくなってきた。今までできていた動きが、スピードが乗らなくなって「アレ?」という感じになったんです。当時、ちょっとトレーニングを怠けていたというのもあるんですけど、そんなにがむしゃらにやらなくて動けていたものが、急にガクンと落ちたんです。
──そこからは戻らないんですか?
SAM:そこからは戻らないですね。本気でちゃんとやれば戻るのかもしれないですけれどもね。相当気を入れてやらないと、時間をかけてやらないとだめですね。
──でも、いまのSAMさんの体を見て、運動は何をやっているか?と聞かれることは多いでしょうね。
SAM:まったくジムに行ってないんですよ。自重トレーニングで、腕立て伏せと腹筋だけです。後は、まぁ、ふくらはぎと太ももと内筋を鍛えることは意識しているけど。
──やっぱり毎日トレーニングをするんですか?
SAM:毎日はやらないです。腹筋は1日おき、腕立ては3日に1回。そんなもんなんです。毎日やると筋肉の疲労が取れなくて。後は踊っているっていうのはもちろんあります。ただ腕立ては、自分なりの腕立てというのがありますね。ベンチプレスなみの負荷がかかる感じでやるんです。20回5セットか30回3セットとか、1日で100回やったり。腹筋は150~200回はやります。
──結構な回数やりますね。
SAM:普通の人はそこまでやらなくても、自重のトレーニングで締まっていきますよ。僕の場合は、仕事が仕事なんで、ジムに行っちゃった方が楽なのかもしれないですけど。ほんとに僕にはマシン・トレーニングが合わなくて。一時期トータル・ワークアウトにも行ったんですけど、まった身体が強くならずに、疲労だけが残る感じでした。ジムでぐったりして、帰ってきて踊る気力もなくて、これじゃぁ練習もできないみたいな状態で。
あと「ズバッといってください!」みたいな、追い立てられる感じも苦手で、自分でやりたいと思っちゃうんですね。自分のペースでも、その方がしっかり筋肉がついたんで。トータル・ワークアウトは3週間のプログラムっで、肉体改造というのをやったんですけど、食事制限をしても全然実感がわかなくて、ちょっと筋肉質になったかなぁぐらいな感じでした。自分で考えてやった方が確実に身体が変わりましたね。
──そのあたりの具体的な運動法はメルマガでも書いていただけるということですね。SAMさんはあまりネット上で何か発言したりされるイメージはなかったんですが、メルマガではどのようのうなことを発信していく予定ですか?
SAM:ブログをやろうと思ったこともあったんですが、いかんせんマメじゃないんで。もうSNSでギリギリぐらいで。でも、メルマガを出す機会をもらったことで、やっぱり伝えたいことはたくさんあるんですよ。身体のこともそうですし、「ダレデモダンス」という社団法人を作って、ダンスを生活の一部にして身体を健康にしていこうという運動もしています。あとは、ダンサーのコアとなる部分を教えたり、本当にかっこいいダンサーたちや、かっこいい舞台を紹介したり、そういうことを伝えていけたらいいなと思っています。
──ありがとうございました。メルマガの配信、毎回楽しみにお待ちしています。