『★セクシー心理学GOLD ~最先端の心理学技術★』第509回(2014年6月4日号)
◆ 個人心理学の意味。
さて前回の続きです。
アドラー先生は、そもそも自分の心理学のことを、
個人心理学
Indivisual Psychology
と呼んでいます。
自分で「アドラー心理学」とは呼んでません。
まぁ、そう呼んだら呼んだで、山田さんが自分の心理学を「山田心理学」と呼ぶようなものなんですが。
さてこの『個人心理学』の『個人』こと
Indivisual
は、
divide…分ける
の
in…否定
で、「分けられない」という意味になります。
すなわち「理性」「感情」、また「意識」「無意識」というような考え方は存在せず、どんな人のどんな判断も、自分の「一つの心」しかない、というわけです。
◆ 使い分けの証明。
実際、『人間は感情に左右されておらず、目的によって使い分けている』ということの証明として、他にもこんな例があります。
たとえば、お母さんが子供に怒ってるシーン。
「あんた何で言うコト聞かないの!? ふざけんじゃないわよ!」
そんなとき、電話が鳴ったりします。
「あらぁ、先生~♪ いつもお世話になっておりますぅ♪
はい、はい、はぁい~♪ 今後ともよろしくお願いしますぅ~♪」
そして電話を切ったあと、
「だいたいアンタはー!」
とまた怒り始める。
こういうこと、よくあるのではないでしょうか。
すなわち「子供には『怒りで言うことを聞かせたい』
先生には『しとやかなお母さんに見られたい』」
それぞれ『目的』による使い分けがあるわけで、人間が感情に左右されているなら、こんなコトはできないわけです。
◆ それは習慣づいてるだけ。
「でも本当にそういうことを考えず、つい怒っちゃう人、つい泣いちゃう人もいるのでは…?」
そういうご意見もあるかもしれません。
でもそれは、その本人に、昔から「泣く」「怒る」という習慣がついているだけ。
怒るたびに、周りが従ってくれた。
泣くことで、みんなが「かわいそう」と言うコトを聞いてくれた。
そんな風に、あまり大きな問題にならず、それでいて、うまく「いいもの」をゲットできていたという経験が積み重なることで、もう無意識の習慣になってしまっているのです。
「つい」ではなく、それが身についてしまっているだけです。
◆ お菓子を食べてしまうのも…。
そしてこれは「ダイエット中なのに、お菓子を食べてしまう」という場合も同じです。
「食べちゃダメだと分かっているのに…」
「太ることは理性では分かっているのに、それでも…!」
食べてしまう人は、そんな風に言うはずです。
しかしこれも、
「本当は、食べても大丈夫と判断している」
「本当は、食べちゃダメであることが、根本的に分かっていない」
ということになります。
感情のせい、無意識のせい、欲望のせい…
そんな風に責任転嫁しつつも、本音で「食べたい」と判断しているわけです。
まぁ実際、食べたいという気持ちは今この瞬間のものですが、たとえば「太る」とか「健康に悪い」というのは長期的な感覚なので、やはり今目の前の方が優先してしまうのは、ある意味当然なんですが。
何にせよ「二つの思考が戦う」とかでなく、本人の
「たった一つの思考として、一番したいことをしてしまう」というわけです。
◆ もし、やる気が出ないなら。
さらにこれは『やる気が出ない』という感情も同じです。
やる気が出ない人は、こんな風に言い訳をします。
「失敗続きだから…」
「あいつが悪口を言ったから、やる気が出ない…」
「すごい眠いから、仕事行けない…」
もちろんこれは理由の一つでしょうし、うつ病の可能性もありえます。
その場合はメンタル受診も必要です。
ただその前に、
「これは原因以上に、そもそも『仕事をしたくない』だけでは?」
と考えてみること。
それだけで、目の前にある原因以外から、目をそらすことができます。
◆ 嫌いになるのは、実は…?
さらに言えば、これは『好き』『嫌い』という感情も一緒です。
たとえば最初は仲が良いカップルでも、時間と共にイヤな面が見えることもあります。
「ご飯の食べ方がイヤ…」
「声がなんか微妙…」
「すぐ泣くのが嫌い…」
「この人、ちょっと太ったのがなぁ…」
内容は何でもありえますね。
これもアドラーに言わせると、「別れたい」ということになります。
『別れる』ためには労力が必要です。
そのためにまず『嫌いになりたい』という目的があり、
そのために『嫌いな理由を見つけたい』
という心理が働くわけです。
そういえば『あばたもえくぼ』ということわざがありますね。
人間、相手のことが好きになると、多少の欠点は見えなくなってしまうのです。
ちなみに似た言葉で、『屋烏(おくう)の愛』というものもあります。
誰かを深く愛すると、その家の屋根にとまっているカラスまで好きになってしまうという心理ですね。
さらにもっと分かりやすい言葉で、
『禿(はげ)が三年目につかぬ』
というものもあります。
こちらはもう少しダイレクトですね。
何にせよ、人間、好きな気持ちがあれば、多少のマイナスは気にならないもの。
逆に言えば、マイナスが強く目につき、それが気になっているということは、それだけ相手のことが嫌いになっており「別れたい」と考えている可能性が高いということになるのです。
◆ 大切なのは、使うこと。
実際、アドラー心理学は、『使用の心理学』とも言われています。
「所有」ではなく「使用」。
何を持っているかではなく、何をどう使うか、ということが重要だというわけです。
これをアドラーは、家にたとえています。
たとえば同じ材料があったとしても、明るく豪華な大邸宅を建てることもできますし、または汚いアバラ家を造ることもできます。
それは造る大工によって変わってきます。
人の行動も、それと同じ『使い方次第』なのです。
◆ 怒る人たちへの対策。
よって、あなたの目の前に「怒る人」や「泣く人」がいたのなら。
「やったことは、本当にごめんなさい。ただ大声は出さないで」
「それはすまなかったと思ってる。今度お詫びに▲▲するよ。でも泣くのはやめてほしい」
というように、ハッキリ言葉で注意することです。
あなたが何かを『してしまった』のは事実かもしれません。
でもだからといって、相手の『怒り』や『涙』など、すべてを際限なく受け入れる義務はないのです。
◆ 自分自身が怒りそうなときは。
また、あなたが怒ったり泣いたりする本人であれば、
「これは『怒りたい』と思ってるんだな」
「理由のせいじゃなくて、本当は泣きたくて泣いてるんだ…」
と考えてみること。それだけで、一段冷静になれます。
怒りや涙で、相手に言うことを聞かせるのは、暴力で言うことを聞かせたり、泣き叫ぶ子供と、まったく変わりありません。
短期的には相手は従うこともあるかもしれませんが、長期的には、必ずあなたはソンをしていきます。
そのため、怒りや涙ではなく、『言葉で』説明しようとすることです。
「その行動はつらかったから、次はこうしてくれないか?」
「あなたの行動が悲しかったから、今度はこうしてくれないかな?」
それが、成熟した人間の関係です。
何にせよ目的のレベルの違いはあっても、すべての人が、その人なりの目的に向かって生きています。
人間は後ろから押される弱い存在ではなく、前に進むため、目的のために生きているんです。
どうか覚えておいてくださいね。
★ 今回のまとめ。 「アドラー心理学2 ~人の心は分かれていない」
○人間の心はたった一つ。「理性では分かっているのに感情は…」なんて存在しない。
結局は「やりたい」という目的のために、やっているだけ。
○「相手のここがイヤ」というのは「嫌いになりたい」「別れたい」という
心理の現れの可能性が高い。
○人間は前に進むために生きている。
次回はさらに掘り下げて、対人関係の話をしてみましょう。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
『★セクシー心理学GOLD ~最先端の心理学技術★』第509回(2014年6月4日号)
著者/大和まや・ゆうきゆう(精神科医・心理研究家)
あらゆるジャンルの心理学を極めた、セクシーな精神科医たち。あやつる心理学のスキルは1000を超える。「ゾクゾクしなければ人生じゃない!」がモットー。趣味は瞑想と妄想。特技はスノーボード。