魂は、神は、そして死後の世界は存在するのか…。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが取り上げているのは、そんな人類の「根源的な疑問」を扱った一冊。柴田さんが「シニア世代がお気楽に、しかし本気で考えるべき」とする、同書に記されている「賭け」とは一体?
『魂は、あるか? 「死ぬこと」についての考察』
渡部昇一・著 扶桑社
渡部昇一『魂は、あるか? 「死ぬこと」についての考察』を読んだ。出版の半年前に86歳で逝去した筆者はキリスト教徒である。人間の存在を問うとき、「魂の存在」「死後の世界」「宗教」という三つの原点についての問いは人間の存在の根幹に関わるもので、切り離すことはできない。
著者は自らの経験と、パスカルやウォレス、アレクシス・カレルなど古今の偉人の生き方や言葉から、また自身の言語学者としての見地から、数十年の思索を積み重ね、その問いに対する答えとして「魂はある」「死後の世界は存在する」「信仰は弱い人間の心の支えになる」を導き出し、それに救われたという。
神は、あるいは死後の世界は、「あるのかないのか」選ばなければならないのなら、どちらのほうが私たちにとって利益が多いかを考えてみよう、とパスカルはいう。「神はない」に賭けて死んでみて、神も死後の世界もないとしたらそれだけの話だが、死んでみたら神も死後の世界もあったとしたらどうなる。
それに対し、「神がある」に賭けて勝負に勝ったらまるもうけだ。負けたとしても何の損はしない。ならば、ためらわずにあるほうに賭ければいい。魂の存在や死後の世界を信じるかどうかも同じだ。というパスカルの賭の精神を知ったとき、目から鱗が落ちる思いで、悩んでいた自分にあきれた渡部先生だった。
どちらに賭けようが生きている間はリスクはないし、失敗もない。ならばどうして後者に賭けないのか、とパスカルは問うている。問題なのは、死後の世界や神や霊魂の存在を否定し、好き放題な生き方をしていて、死んだらあったという場合だ。とりかえしのつかないことになる。ならないとは証明できない。