2018年1月25日より『モーニング』誌で伝説のベストセラー漫画『ドラゴン桜2』の新連載がスタートし、同時に最新話をメールマガジン『
「2020年教育改革」には全く期待ができない
――2017年1月から『ドラゴン桜2』の連載がスタートします。今このタイミングで復活させたきっかけを、お聞きしたいのですが……。
三田:理由はひとつで、2020年の教育改革で大学入試の制度が変わるからです。制度が変われば、それに対する対策法も変わってくるわけですし、それが求められるわけですから。新しい制度への戦略や対策法はまだ誰も手付かずの状態というか、みんながまだ模索をしている状態なんです。それに対して我々は『ドラゴン桜2』を通じて、いち早く対策法を提示していきます。
本来『ドラゴン桜』は、完全に完結した作品ではあるんですけど、このタイミングで再び社会のニーズとマーケットが生まれたわけですから、「やらない手はないよな」ということですよね。それに『ドラゴン桜』は、いわゆる受験漫画のフロントランナーという最大の強みもあるし、ブランド力がある。我々が「やるよ」と言った段階で世間が盛り上がるので。
――では、新しい『ドラゴン桜2』では、今回の大学入試制度の変更に即した新しいテクニックも出てくると。
三田:そうですね。ただ、我々のほうもまだ情報が少ないというのはあります。国としてもまずはスローガンを打ち出したという段階で、具体的な中身に関してはまだ相談している最中なんじゃないかと。入試制度は変わることが決まっているのに具体的な内容がハッキリしないということで、恐らく高校の現場などは今すごく動揺していると思うんですよね。
僕が高校生だった頃って、ちょうど共通一次試験が導入された時期だったんです。僕らの1個下の世代からが共通一次で、僕らが旧制度のラストイヤーだったのかな。それで当時の学校現場、僕の通っていた高校の先生も大混乱だったわけですよ。「共通一次って何なんだ?」って感じで。
それまでの制度だと、国立一期校、二期校っていうのがあって2回チャンスがあったんです。共通一次になると国公立は1回しか試験をやらないということが発表されたので、その段階で高校の先生たちは「とにかくランクを落としてでも、今年中に入っちゃえ」と指導していましたよ。「浪人したら来年から試験が変わって、より大変になる」と。そういった混乱の状況っていうのは、程度の差はあれ今も同じようにあると思うんですよね。そういう点でも『ドラゴン桜2』を始める意義はあるんじゃないかなと。
――新しい入試改革では「考える力」を問う問題のウエイトが大きくなるとも言われています。『ドラゴン桜』では、受験生にあえて「知識の詰めこみ」を推奨するような場面も出てきますが、そういう内容も変わっていくのでしょうか?
三田:文科省がわかりやすいスローガンとして「考える力」という言葉を掲げて、マスコミも大きく取り上げていますけど、それを真に受けて「考える力を身に付けなきゃ」って考えること自体が、僕はもう間違いだと思うんですよね。そんなことはどうでもいいから、普段通り淡々とやればいい。結局地道にやっていった人間が、試験では勝つわけですよ。だって、どれだけ「考える力」だと言っても、試験に関しては一発勝負っていうのは以前と変わらないわけですから。
これが例えば「一問一答形式の面接を入れます」とか「なんか論文を書いてこい」とか「日々のボランティア活動をポイント制にします」とかってなれば、それはもう大幅な大転換が起こるわけですけど、結局のところ試験会場で試験を解くっていう形式は変わらない。だから殊更「考える力を身に付けなきゃ」なんてことは考える必要は、一切ないと思いますよ。
――坪田さんも同タイミングで新刊『世界に一つだけの勉強法』を出版されたわけですが、2020年の教育改革についてはどのような印象をお持ちですか?
坪田:今度の教育改革では、「アクティブラーニング」っていうのも目玉になっているじゃないですか。いままでなら、先生が一方的にしゃべっているのを子どもがひたすら聞いていたのを、今度からは子どもも一緒に考えられるようにしましょうみたいな、そういう感じだと思うんですけど。あと国語とかでも、今までだったら現代文を普通に読んでいたのが、お父さんとお母さんと子どもとの会話みたいなものにするとか、契約書を読ませるといった風に、実生活で使えるようなものにしようとしているのかなっていうのは感じるんですよね。
ただ、僕自身はアクティブラーニングっていう言葉に、すごい違和感があって。そもそも学びって常にアクティブなものじゃないでしょうか。「パッシブラーニングって、どういう状態なんだろう」と僕はいつも思うんですよね。
だからある意味、学校の授業もそうだし、塾だってそうだと思っているんですけど、先生がひたすらしゃべっていることを、ただラジオを流しているかのように聞くだけなら、あの場所にいる必要ってそもそもあんのかなって。一クラス40人がそれぞれ興味、関心も違うし、学習レベルも違うのに、全員がぼーっとそれを聞いている。それも同じ時期に同じことをみんながやるっていう……。
それって頭がいいっていうか、既に勉強ができている子たちにとっては、こんなにクソつまらないことはないし。逆に分かんない子たちにとってみれば、ただ呪文のように聞こえているわけじゃないですか。それを12年間もやるなんて……。
僕は「授業」って、まるで現代アートのようだなって、ずっと思っていました。先生は先生で、みんなに聞かせようなんて端から思っていない。初年度の先生は別としても、10年選手の先生なんて寝ている生徒とかいても「そんなもんか」ってなっているし。生徒は生徒で、勉強が苦手っていう子は「今日のご飯何かな」とか「早く部活やりてぇな」とか思っているだろうし。本当は、全員この授業の内容に対して、同じ方向を向いてないといけないはずなのに、実は全員が違う方向を向いているっていうのが、めっちゃシュールだなって思います。
――なるほど、そういうシュールっていう意味で、現代アートっぽいってことですね。
坪田:そう。それで僕の娘が今3歳なんですけど、今後どういう風に教育をしようかってなったときに、正直「僕が娘を教育したいな」っていう思いがあります。
この前、スペインのサグラダ・ファミリアに家族で行ったときに、娘がステンドグラスを通して映る光で感動して「わー」ってなっていたんですよ。それを見た妻が「こうやって家族で旅行するのも、小学校に行くまでだね」って言った瞬間に、僕は「なんで?」って思ったんですよね。訳分からん先生に現代アートのような授業を受けさせられるぐらいなら、家族と一緒に世界遺産を見てまわったほうが、この子の感性って豊かになるんじゃないのかなって。
ただ、家庭で勉強させるということが今は選択できないんです。憲法で規定されている「教育を受けさせる権利」を奪うことになりますから。そういう意味でも、教育改革をする所はたくさんあるんじゃないかと、僕は思うんですよね。もっと教育自体に選択肢が欲しいというか。
『世界に一つだけの勉強法』の中でも触れましたが、そもそも日本の教育って、小・中・高の12年間で生徒を勉強嫌いにさせるようなシステムになっているんですよ。それを長年放置してきたのに、今さら「改革します」って言っても、それで本当に良くなるとは思えないんですよね。僕自身がもう、これからの教育は国じゃなくて民間の時代だと思っているというか、民間が新たな教育をやり始めて、それがバーッと成果が出始めたら、国も追従せざるを得ないだろうし。だから正直に言うと、僕は2020年の教育改革には全く期待していないです。
結局のところ、いくら改革だって言っても、既得権益を守らないといけないでしょうしね。そういう意味でも、民間からの意識改革が求められる段階に、すでに来ていると思います。その点でもこれから始まる『ドラゴン桜2』が、世間の意識を変えてくれることに、めちゃくちゃ期待しているところはありますね。
三田:そもそも、国が教育改革をやろうとしている最大の動機っていうのは、産業界がものすごくプレッシャーをかけているというのがあるんですよね。
90年代から2000年代にかけて、アメリカではAppleやGoogle、Amazonといった巨大企業がどんどん出てきたと。でも、日本からはそういうのが生まれなかった。それは何故なのかというと、産業界が言うには「教育が悪いから」ということになるんです。画一教育や詰め込み教育をやってるから、そういうのが生まれないんだと。そういう声に文科省が押されて、トコロテン式に出てきた結果が「じゃぁ教育改革を……」ということなんです。
そもそも産業界が教育に口を出して、いいことなんて一つもないんです。産業界で使える人材を育成するのは、産業界がやるべきであって、教育自体の最終的な目標っていうのは、やっぱり人格形成ですよ。ちゃんと自立して、社会に対して何らかで貢献するということを学ぶっていうのが、何よりも大事。だから文科省は、そういう産業界からの声を、責任をもってガードすべきなんです。
教育制度を変えたからっていって、AppleやGoogleが生まれるわけはないし、ましてやベンチャー企業を立ち上げるための勉強を、小学生からやるとかね、そんなものは僕は全く間違ってると思うんですよ。アクティブラーニングとかって言い出してるのも、結局のところはコミュニケーション能力の向上とか、そういうことを産業界が求めているからでしょ。そのベクトルがそもそも間違ってるわけであって。もっと文科省のほうも「いい子を育てるんだ」ってことに気概を持って堂々としてればいいんだし、そうであれば別に今まで通りに詰め込み教育をやったからっていって、それは悪いことじゃないと思うんですけどね。
坪田:本当、そうだと思います。詰め込み教育で何が一番問題なのかと言うと、実は詰め込み自体じゃなくて、それをマネージメントする保護者なんですよ。保護者が子どもにガンガン言って、そこで変にしちゃうから、詰め込み教育そのものが悪いみたいになっちゃっているのかなって。そういう意味では、教育改革でぜひやって欲しいのは、家庭教育へのある程度の回帰というか、家庭でどう教育していいか分かっていない保護者たちへのフォローなんですよね。
個人的な意見を言わせてもらえば、特に義務教育なんて無料なわけだし、今後は高校や大学もタダになるかもしれないって言われているなかで、そもそも保護者は無料のサービスにいいものを求めすぎなんですよ。例えば、無料で振舞われているラーメンを食べて、「美味しくない」って文句言っているのと同じで、もっと感謝しようよっていうのが、僕がいつも思ってることなんです。
で、学校に感謝したうえで、今後は保護者が家庭で子どもをどう教育していくかを学ぶというか、もっと一緒に考える必要があると思うんですよね。もともとは家庭が教育の原点だと思いますし、学校や塾でどれだけいい指導をしても、保護者がキーキー言っていると、すべてがおじゃんになっちゃうんです。だから、保護者の意識改革っていうのはとても重要だと思うんですよね。三田先生がおっしゃっている産業界なんていうのは、まさに保護者のことじゃないですか。
三田:実際の話、その時々の政権と産業界との結びつきによって、国の政策が色々変わるというのは、やむを得ないところもあるんだけど。でもやっぱり産業界がああしろこうしろって言って、それでうまくいった試しはないからね。経団連だって、なんも分かってない爺ちゃんばっかりじゃない。スマホも使えないような人間たちが、「日本にはAppleやGoogleがないぞ」って文句言ってるわけだから。
坪田:でも、そういう人たちって、日本から本当にAppleやGoogleみたいなものが出てきたら、全力で潰しにかかりますからね。
三田:そうそう(笑)。で、「日本にはイノベーションがない」とか文句を言われると、文科省も「なんか、目先を変えなきゃ」ってことで改革を打ち出して、結局それで現場が混乱すると。日本の教育は、それの繰り返しなんですよ。
坪田:結局、それって「他責」しすぎなんですよね。産業界は自分たちが人材を育てられないから、「これは教育が悪い」って言いだして、大学は「高校教育が悪い」って言って、高校の教員は「中学の教育が悪い」って言っているわけでしょ。で、保護者は「学校が悪い」「国が悪い」って言うわけじゃないですか。なんか他責し過ぎだよなぁって思いますよね。結局は、自分がやるべきことをちゃんとやるっていう習慣を、保護者や子どもがみんなしっかりやれば、別に教育改革をする必要もないのかなって気がしますけどね。(つづく)
……と話の尽きないお二人ですが、対談はこのあと第二弾の記事に続きます。また、毎回濃密なコラムも読めるドラゴン桜・三田紀房先生の有料メルマガのご登録は→コチラ。初月無料ですので、この機会にぜひご登録して見てはいかがでしょうか。また、坪田先生の新刊『どんな人でも頭が良くなる 世界に一つだけの勉強法』も好評発売中です。まだまだ続くお二人の熱いトーク。それでは、次回の対談第二弾をお楽しみに!