日本人は「阿吽の呼吸」というように、相手に直裁に言葉で説明することなく物事をすませようとしがちです。
逆に、移民社会の中で、文化背景の異なる多様な人々が交流し合う英語圏では、言葉ではっきりと表明することがコミュニケーションの基本なのです。
しかも、この努力を怠った末に、いよいよ状況が複雑になったとき、日本人は得てしてその問題の背景を説明しようと必死になります。
背景から話を切り出した場合、欧米にはそのメッセージは伝わりません。
それは何か苦しい言い訳をしているか、不明瞭な表現で煙にまこうとしているとしか思われないのです。
なぜなら、背景を話した後に、物事の本質へと迫るロジックの展開の方法は、欧米のコミュニケーション文化には存在しないからです。
別の言い方をするなら、起承転結方式によるスピーチは、極東の漢字文化圏でしか通用しないスピーチ術だからです。
この極東地域独特の修辞法に従って流暢な英語で話せば話すほど、皮肉にも英語力とは関係なく、誤解が深まってゆくのです。
英語でしっかりと相手とコミュニケーションをするには、彼らのコミュニケーション文化に従った修辞法を習得する必要があるというわけです。
以上が、距離があり文化背景も異なる人々に「日本の言い分」が伝わらない理由となります。
この理由を知っておかない限り、日本は誤解され続けることになってしまうのです。
日本人はとかく英語をうまく話す技術にこだわりすぎ、そこにコミュニケーション文化の差異があることに気づきません。
日本人のロジックを海外に伝えたいならば、その伝える方法について、もっと繊細になってゆくべきなのです。
今回の大阪市長のとった処置は、上記の理由から、アメリカの世論からは一蹴される感情的な対応としか思われないのではないでしょうか。
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