ナゼお月見を愛した嵯峨天皇は直接、月の姿を見なかったのか

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中秋の名月といえば、月見団子やすすきを飾りお月見を楽しむ風習がありますが、いったいいつから行われているのでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英学(はなぶさ がく)さんが、京都にまつわる「観月の歴史」を紹介・解説しています。

観月の歴史と楽しみ方

今回は中秋の名月を目前に控え、月見の歴史とその風習をお伝えします。日本人はなぜ月を見ることに注意を払うようになったのか? 月を愛でるとはどういうことか? 様々な疑問をわかりやすく解き明かしています。

月見の風習は、嵯峨天皇が離宮・大覚寺の大沢池で中秋の名月に舟を浮かべ遊ばれたことで有名になりました。当時は弘法大師・空海などの文化人や貴族達を招待していたようです。書道史上最も優れた能書家である三筆(さんぴつ)は嵯峨天皇、空海、橘逸勢です。まさにそのようなメンバーを中心にサロンが開かれていたのでしょう。

さて、今でこそ月見は広く知られてますがどんなことをすると思いますか? お花見と同様に月を見ながら飲んだり食べたりと思っている人もいるでしょう。月見は月を愛おしみ、秋の収穫の時期に神様へ恵みの感謝をする習慣です。月見団子、お酒、ススキなどを月に供え、月を観賞するのが月見の過ごし方です。

月見の歴史

月見は唐の時代に中国から日本に伝わりました。中国では仲秋節の十五夜の円い月は縁起が良く、円満とされていたようです。日本では月の美しさだけでなく、月の満ち欠けする姿のはかなさを愛でるようになりました。貴族や文化人にとって月見は暦や易と関連する事もあり、時代を先取りする文化だったようです。

「中秋の名月」は秋の真ん中であり、旧暦8月15日の夜に見える月のことです。庶民の間では収穫期を直前に控え、ススキと月見団子を供えて五穀豊穣を祈願するようになりました。ススキは魔よけを、月見団子は豊作を象徴しています。昔は中秋の名月十五夜とともに十三夜も楽しむのが一般的でした。これは日本独自の風習で、十五夜だけでは「片見月」といわれ、両方見るのが良いとされています。

旧嵯峨御所・大覚寺は平安時代からの長い歴史の中で何度か焼失しています。しかし、大沢池だけはほぼ当時のままの姿を残しています。この大沢池は日本最古の人工の池といわれています(人造池)。嵯峨天皇が観月のためだけに中国の洞庭湖を模して造られたと伝わります。大沢池は月を見るために造った池なのです。凄くないですか?

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