アメリカのIT業界の場合、プログラマーはプロアスリート並みに丁重な扱いを受け、新しいものを生み出す環境が備わっているそうです。それに比べると、労働時間や環境も含め、あまりにもぞんざいな扱いを受けている日本のプログラマーたち。メルマガ『週刊 Life is beautiful』の著者で世界的プログラマーの中島聡さんは、「日本のITが弱い理由」について、このプログラマーの扱いの違いこそ日米の差に表れていると厳しい口調で指摘しています。
日本のITは何故弱いのか
知り合いから紹介されて、「あるソフトウェア工学者の失敗、日本のITは何故弱いか」という論文を読みました。京都大学の林普博士が書いた文章です。
数学からITの世界に入り、関数型プログラムの自動生成の方法などを研究していた方ですが、最後には「日本のITが世界で通じない理由は、技術的・産業的なものではなく、社会的・文化的なものである」と結論づけている点は素晴らしいのですが、ではその違いがどこにあるのか、というもっとも大切な部分に踏み込んでいないため、消化不良を起こしてしまいます。
そこで、補足として、私なりのその社会的・文化的な違いを列挙してみたいと思います。
1. 意思決定プロセス
日米の企業を比較した時に、もっとも違いが際立つのが「意思決定のプロセス」です。
ソフトバンクやファーストリテイリングのように、創業者が元気な会社を別にすると、日本のほとんどの大企業は、「サラリーマン経営者(創業者でも大株主でもない、雇われ経営者)」が経営しています。
彼らがとても重視するのは、社内のコンセンサスであり、さらにそのコンセンサスに到るまでのプロセスです。責任の所在が明確になるトップダウンでの決定(=鶴の一声)を極端に嫌い、市場調査や競合製品との比較をベースにした、「データに基づいた意思決定プロセス」を好むのです。
米国の企業でも、市場調査はしますが、それは経営者が決定を降すための材料でありません。データから自動的に「すべき決断」が導き出されることはほとんど無く、結局は、経営者が責任をとって「えいやっ!」と決断を下すしかないのです。優秀な経営者とそうでない経営者の差は、その決断のスピードと説得力の違いとして現れます。不十分なデータしかない中で、素早く意思決定をし、かつ、その決断に基づいて社員全員が一丸となって働くために必要な「説得力」(有名なのは、Steve Jobs の「現実歪曲空間」とまで呼ばれた説得力)を持つ人が素晴らしいリーダーなのです。
日本の、特にサラリーマン経営者が経営する大企業の場合、意思決定までの過程に膨大な時間が費やされます。調査や資料作りもそうですが、大勢の人が出席する長時間の会議が数多く開かれます。多くの場合、経営者の心の中では早い時点で方向性は決まっているのですが、それを全員に納得してもらうための、そして、その決定はトップの独断では無くデータに基づいたものだ、と言う「エビデンス作り」に膨大な時間とエネルギーが費やされるのです。
ちなみに、今でも強烈な印象が残っているのが、菅直人総理による「脱原発」宣言です。福島第一での過酷事故のあと、国のリーダーとして、(欧米であれば当然のごとく)「脱原発で行く」と言うトップダウン型の意思決定をしたのですが、日本で必要とされる、根回しやエビデンス作りを一切せずに行ったため、霞ヶ関の官僚たちからは完全に無視されてしまったし、民主党の中ですらうやむやにされてしまったのです。
「エビデンスありき」「責任の所在の曖昧な」の意思決定プロセスを採用していると、脱原発(日本政府)や、パソコン事業からの撤退(ソニー)、原発事業の損失の一括償却(東芝)などの「痛みを伴う意思決定」にやたらと時間がかかるようになります。また、まだ世の中に存在しない、ニーズすらはっきりと見えない新製品に投資することが難しくなり、「Windowsパソコン」や「Android ケータイ」のような、ライバルとの横並び製品ばかり作るようになってしまいます。
米国という「追いつき、追い越せ」という明確なターゲットがあった高度成長期には、そんな意思決定プロセスでも十分に世界で通用したのですが、バブル崩壊後は、それではすっかり通用しなくなっています。未だにそんな悪習を続けているのが日本の大企業なのです。