8月6日、9日の広島・長崎原爆忌、そして15日の終戦記念日。毎年この時期、様々なメディアで戦争や平和をテーマにした特集が組まれています。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、タレントのタモリさんの言葉などを引きつつ、改めて「戦争と平和について考える重要性」を訴えています。
戦争と平和
8月9日は長崎原爆忌だった。戦時中を思えば、今は空襲や飢餓を恐れないで生きられる分、平和である。原爆忌は、慰霊とともに、今自分がこうして生きていること自体に感謝する機会になる。
ただ一見「平和」とはいえ、現代も静かな戦争が繰り広げられている。国家間で武力を用いて権益争いをしている状態を「戦争」という。先日記事にした「核兵器禁止条約」の参加国間の温度差などは、それを象徴する出来事である。
戦争の難しいところは、突き詰めると個人の「愛」に端を発する点である。以前にも紹介したタモリさんの言葉だが「LOVEさえなければ、PEACE」。何かを愛する、守るという感情がなければ、争いは起きず、自然「平和」の状態になる。愛し守る対象さえなければ、何を奪われても何の感情も湧かないのだから、当然である。
先の戦争への解釈としても、個人単位で考えれば、それぞれ自分の大切な何かを守るために、両国の人間は動いた。例えば特攻は、自分の命を優先順位の二番手以降にしないと成り立たない。その時の優先順位の一番目は、自分の命を越える何か、守る対象である。
しかし、「愛」によれば相手の命を奪っていいかという問題は全く別である。「愛」と「平和」によって爆撃をしたのだ、と言われても、命を奪われた側が納得いくはずがない。
愛する者を守るためだ。
戦争を終わらせるためだ。
単なる実験だった。
どの理由だろうが、愛する者を無情にも奪われたという本質から見れば同じことである。「致し方なかった」理由を並べて正当化を試みても、やはりその個人の恨みは消えない。
結局、戦争は両者の(特に個人である一般市民の)恨みしか残さない。一般生活レベルで言うと、何をどう言おうが、他人のものを奪ったりいじめたりしていい理由にはならないのと同じである。
戦争と平和について考えることは、学校教育で何を教えるかを考える上でも、大いに関係がある。世界共通の教育テーマである。
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