職場などで、上司に逆らうような発言をして気まずくなったことってありませんか? 「KY」なる流行語もありましたが、そこまで空気を読むことは大事なのでしょうか。薬剤師がつくる専門家集団 「Fizz」代表でもある小原一将さんの無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では、なぜ「空気を読む」心理が働くのか、その結果として何が起こるのかについてわかりやすく解説しています。あなたは「空気を読む」ことに賛成ですか、反対ですか?
空気を読むことは本当に大切か?
一昔前に「KY」という言葉が流行った。空気が読めないという意味だったはずだが、この「空気を読む」という言葉は日本人に広く浸透している。ストレートに物事を言わずに、相手の気持ちを分かろうとすることの多い日本人にとって馴染みやすい行動なのだろう。
ただ、この空気を読むという行動は本当に正しいのだろうか。一般的には、その場の雰囲気から自分の言動が適切かどうかを考えて判断することをあらわすだろう。しかし、この「その場の雰囲気」というものが分かりにくい。
例えば、会議の中で上司が間違ったことを話してしまった場合それを注意するかどうかは難しいかもしれない。いきなり注意してしまうと、それこそ空気が読めていないと叱責されてしまう可能性も高いだろう。だが注意しないのも適切ではない場合がある。
または、友達同士で盛り上がっているところ、突然自分がその人たちと反対の意見を言うとその場はみるみる盛り下がること間違いなしである。これもまた空気が読めていないと言われるに違いない。
こういったことはだれもが何度も経験しているはずだ。そういった複雑に絡み合う現実の中で、微妙な「空気」を敏感に察しながら発言したり行動しているだろう。では、この「空気」というものはどのようなものなのか。
実態がないものであるために表現することは難しいが、本当にそんな「空気」というものが存在するのだろうか?
私は「空気を読む」という行為は文字通り「空気」という何もないものを皆で必死に探っている状況だと思っている。要するにあまり意味のないことだと考えている。
「空気」というものは皆が想像力を働かしすぎた結果、こうあってほしい、こうあるべきだという固まった考え方が大きくなってそういったものが生まれる。そしてそんな「空気」をみんなで必死に読み合い、だれも望んでないことやだれも必要としていないことが起こる。
もちろん、相手の気持ちを推し量り、組織の風土や習慣は尊重する必要がある。上記の例で考えると、上司や友達に対して失礼な言葉で発言していはいけない。しかしだれもがよく分からないような「空気」というものを一生懸命に考えたところで意味はない。
「空気」という実態のないものに神経をすり減らす必要はない。自分の思ったことを適切な言葉で、誠意をもって語れば良い。もしそれが受け入れられなかったとしても、自分が自分として今ここにあるためにそれは必要なことであると考える。
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