14日に発表されたいわゆる「安倍談話」は「首相にとっての挫折」―、そうバッサリ斬るのはメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』。村山談話にかわる独自の談話を出そうとしていた安倍首相は、なぜ「挫折」してしまったのでしょうか。高野さんが解説します。
安倍首相、「戦後70年談話」という挫折
戦後70年談話の作成に携わった1人は「首相は本音は納得していないんじゃないか」と言い(15日付日経)、自民党のある派閥会長は「談話を出さないことが、一番良い選択だったかもな」と漏らした(15日付朝日)。
安倍のそもそもの出発点は、村山談話を亡きものにすることにあった。彼は月刊誌「正論」2009年2月号で、村山談話を「村山さんの個人的な歴史観」に基づく「あまりにも一方的なもの」だと正面切って批判し、「政権が代わるたびにその継承を迫られる……まさに踏み絵」とされてきたことへの不快感を表明、「だから私は村山談話に換わる安倍談話を出そうとしていた。……その時々の首相が必要に応じて独自の談話をだせるようにすればいいと考えていた」と述べていた。同じ頃の別の雑誌「WILL」では「できれば歴史認識に立ち入らない安倍談話を出したかった」とも語っている。
ところが14日に発表された談話は、その安倍の本音から遙かにかけ離れたものとなった。談話では「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。……こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と言い、同日の会見では、さらに踏み込んで「先の大戦における行いに対するお詫びの気持ちは、戦後の内閣が一貫して持ち続けてきたものであると考えています。そうした気持ちが戦後50年においては村山談話という形で表明され、さらに60年を機に出された小泉談話においてもそのおわびの気持ちは引き継がれてきたと考えています。こうした歴代内閣が表明した気持ちを私の内閣においても揺るぎないものとして引き継いでいく。そして、恐らく今後の内閣もそうでしょう。そのことを今回の談話の中で明確にしたところであります」と、村山談話を「私の内閣も揺るぎないものとして(!)引き継いで行く」と言ってしまった。
村山談話に代表される常識的な歴史観を「自虐史観」とまで罵って、教科書を含めて歴史を書き換えようと狂奔してきた安倍とその周辺の右翼勢力にとって、これが致命的な挫折でないとすれば何なのか。安倍イデオロギーはここにおいて頓死したとさえ言えるのである。