どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、お彼岸の風物詩「おはぎ」「ぼたもち」の由来について、著者のUNCLE TELLさんがいくつかのエピソードを紹介しています。2017年は9月20日からお彼岸入りとなりますが、それまでに「おはぎ」と「ぼた餅」の違いについて知っておきたいですね。あなたはすでにご存じでしたか?
おはぎとぼた餅
お彼岸が近づいたりすると、よく母が作ってくれたのを思い出す。母の手になるその味はまた格別だった。今では自宅で作る家はなかなかまれであろうが、お彼岸が近くなると和菓子屋に並び、季節を感じさせるお菓子のひとつ。シンプルで素朴な形と味わい、今見られるのは圧倒的に餡のものが多いだろうが、胡麻やきなこといったバリエーションもある。
おはぎとぼた餅、実質同じものだと思うのだが、02年2月5日号で紹介したおにぎりとおむすびと同様、昔からおはぎとぼた餅、二つの呼び方があったようである。文献では江戸時代初期の頃からすでにこの二つの呼び方があったらしい。
さて、おはぎとぼた餅、このふたつは同じものなのか、それとも厳密には違うのか。よく聞くのが、「春のお彼岸に食べるのがぼた餅(牡丹)、秋のお彼岸に食べるのがおはぎ(萩)」と、季節の花に合わせて呼び方が違うとする説。「萩の花を散らしたような小倉餡のものがおはぎ、漉餡(こしあん)を使ったものがぼた餅」、逆に「漉餡がおはぎ、小倉餡がぼた餅」「もち米が主体の芯ならばぼた餅、うるち米主体ならおはぎ」「もち米をそのまま丸めたものを芯にすればおはぎ、”半殺し”の状態に突きつぶして丸めたのがぼた餅」などと諸説粉々。どの説もこれだという決め手に欠ける。
春と秋で呼び方が異なるというのもよく聞いたし、また私の経験した感覚からいえば、丸々突いた餅から作ったものを”おはぎ”というのには、ちょっと抵抗がある。としても文献によれば幕末まで、両者の中身は同じものだったようで、厳密な使い分けがあったか疑問である。
江戸時代の庶民は一般的にはどうも「ぼた餅」と呼んでいたらしい。だが、「おはぎ」はなんとなく上品で、気取った響き、「ぼた餅」の方は良くいえば庶民的、悪くいえば泥臭い響きも。この響きからの印象は江戸時代も同じだったらしい。「ぼた餅」は「丸くて大きく不器量な顔」を指す俗語でもあったとか。
江戸時代、「ぼた餅」の名で市販し当たりを取った店もかなりあったというが、今は市場では分が悪く、あまり聞かれないということで、お彼岸シーズンに売っているのは「おはぎ」ばかり。都内でも「ぼた餅」として売っている店はほとんどない、ということらしい。「ぼた餅」、愛すべき響きではあるが、当節はだいぶ分が悪いようである。