現在では民度・環境ともに「清潔」な台湾ですが、かつては様々な伝染病が蔓延する「瘴癘(しょうれい)の島」と呼ばれていたことをご存知でしょうか。そんな台湾の人々を死に至る数々の病から救ったのは、誰あろうこの地を統治した日本の医師や研究者たちでした。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では著者で台湾出身の評論家・黄さんが、台湾で最も恐れられていたマラリアを根絶した研究者たちのエピソードを中心に、日本人が台湾の衛生面で果たした役割について記しています。
【アジア】世界の伝染病の発信源・中国と、アジアの救世主・日本
今年も日本に本格的な夏が到来しました。夏は様々な楽しいレジャーがある一方で、夏特有の伝染病も流行します。去年、日本でも大流行したのがデング熱でした。
今年は日本では殺人アリ(ヒアリ)のことが話題になっていますが、デング熱についてはまだ騒がれていません。しかしデング熱はスリランカでは猛威をふるっているようです。デング熱は蚊を媒介として感染する伝染病のため、無限大に感染します。
そもそも、蚊は様々な病気を運ぶ感染源です。かつてはマラリアの運び屋でした。今でも日本では日本脳炎の予防接種をしていますが、日本脳炎も蚊を媒介とする伝染病です。
このメルマガでも何度も述べてきましたが、SARSはもちろん、ペストやこれらの伝染病の発信地として最も有力なのは中国です。なぜなら不衛生だからです。
万が一、伝染病患者が出たとしても、その後の対策を講じれば拡散は最小限に抑えることもできますが、中国は人々の生活が不衛生な上に、対策を講じるどころか情報隠蔽に走るのみですから、拡散が防げるはずがありません。
一方で、同じアジアでも日本人が古代から衛生観念が強かったのは、神道の禊祓(みそぎはらえ)と深い関係があるのではないかと私は思っています。すでに江戸時代には、来日した西洋人も日本の衛生環境を絶賛しています。
戦前の日本がもっとも強かった分野は、金融財政と医療衛生でした。日本軍医が来れば伝染病が消えるという美談は、中国にも残っています。
しかし、台湾もかつては伝染病が蔓延していた地でした。日本統治時代以前の台湾は、衛生環境も悪く、気候風土は伝染病が広がりやすい条件が揃っていたため、一度伝染病が流行すると多くの死者が出るのを防ぐ手立てはありませんでした。
そのため、当時の台湾は「瘴癘(しょうれい)の島」とも呼ばれていました。免疫の強い先住民しか生活できない地で、日本人からも「鬼ヶ島」と言われ、いったん入れば生きて帰れない地と見なされていました。
私の祖先は大陸からの移民で、私はその8代目にあたりますが、「族譜」を見ると、6代目の祖父より上の代では、30歳以上生きたのは1人のみ、たいてい20代で死亡していました。
日清戦争後の下関条約で、全権代表の李鴻章が伊藤博文に警告したのは、台湾にはアヘンと瘴癘という二つの脅威があるということでした。
そんな台湾が近代文明社会へと変貌できたのは、日本統治時代があったからです。日本統治の50年間で、寿命は倍増しました。台湾総督府による環境衛生のおかげなのです。私の祖父も、63歳まで生きました。