かつては家族揃って一日中遊べる場所だった公園。しかし、「危険がないように」との論調が強まり、いつしかルールだらけになってしまった公園には、誰も寄り付かなくなってしまいました。今回のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』では、著者で中部大学教授・武田邦彦先生が、都市公園法や動物園なども例に挙げながら、良い方向に動きつつある「遊び場のいま」について、詳しく伝えています。
公園や動物園の「遊ばせてやる」「動物を見せてやる」という意識
江戸時代までは殿様が作った「庭園」などはありましたが、庶民が普通に利用できる近代的な「公園」が整備されたのは明治になってからでした。明治の初めに東京にできた公園・・・上野の公園や日比谷公園など・・・は自由な雰囲気に包まれ、レストランや公会堂、お花屋さん、そして隣接する皇居、動物園、美術館などとコラボして、大勢の人で賑わったものです。
その後、全国に公園ができるようになると、公園の設計や管理は「自由に皆が楽しく」から「取り締まってトラブルにならないように」という方向に動いていきました。日本人の良い面でもありますが、なんでも規律正しくと思う余り、公園でキャッチボールをしてはいけない、犬を連れてきてはいけない、ビールを飲んではいけない・・・と「なんでもいけない病」が蔓延して、ついに「誰もいない公園」になってしまったのです。人間の行動は「危険にしようと思えばできるし、他人に危害を与えないようにやろうと思えばできる」ということを無視した規制になっていたのです。
これこそ「石橋を叩いて渡る」ではなく、「石橋を叩いているうちに壊れる」の類いで、何のための公園なのだというところまで来ました。そこで2017年(今年)の4月に都市公園法の改正が行われ、ハッキリと「公園でいろいろやっても良い」ということになりました。たとえば、公園の面積の3分の1までは保育園もOK、もちろん昔から許可されていたレストラン、公園にふさわしいお店(花屋さんなど)ができて、楽しい公園に変わるでしょう。
著者は名古屋の東山公園(動物園、植物園など)のリニューアルの委員長をやっていましたが、それまでの動物園などは「お客を楽しませる」というより、「動物を見せてやるからおとなしくしていろ」という感じでした。
たとえば、動物園の入り口には身長180cmもありそうな大男が厳つい顔をして入ってくる人をにらみつけていました。「守衛」とか「見張り人」という意識を持っていたのです。今ではニコニコした女性が歓迎してくれます。また動物園のなかに「恋人が別れる池」というのがあり、著者はなぜそんな名前がついたのか何回も行って様子を見てみました。そうすると、公園内に休憩する良い場所がなく、レストランはまずくて高く、トイレは汚くて臭いという状態だったので、それが原因なのだろうと考えました。
そこで、若干荒っぽい方法をとって、「快適な休憩所を作る」、「レストランを全部入れ替える」、「トイレはシャワートイレにして、子供用も作る(子供が大きい大人用の洋式トイレにまたがると肛門から出血することも多い)」などを実施しました。これまで公園に入っていたレストランの業者を変えるのが大変でしたが、「ゆったり休憩、美味しい食事、綺麗なトイレ」でみんながニコニコするようになったのです。
この考えに沿って動物を見るところにも工夫を凝らし、たとえば子供がゾウを見ている間、おばあさんはエアコンのついたガラスの休憩所から孫の様子を見てゆっくりと座って過ごせるようにしました。
そんな風な努力をしているうちに、ゴリラのシャバーニが「イケメン」で人気を博し、入場者数は160万人から260万人へと増え、「楽しい公園」に様変わりしたのです。