社内騒然の人事発表~危機を救った意外な決断
年度末の3月31日。本社の一角がザワザワしていた。社員たちが見入っていたのは人事異動の辞令だ。タマノイ酢ではこんな辞令が何の前触れもなく張り出される。
実はタマノイ酢は極めて人事異動の多い会社。1年で部署が変わるのも当たり前だという。この多すぎる部署移動の仕組みを考え出したのも播野だった。そこには切実なきっかけがあった。
1953年、播野は創業家の親戚の家に生まれた。本家筋ではなかったが、1969年には父親が社長に。その10年後に播野も入社した。しかし世の中にお金が溢れたバブル景気を経て、タマノイ酢は大きな危機に陥る。当時、社長は父親の後を継いだ兄。その兄が投資によって15億円もの負債を作ってしまったのだ。
「不動産投資もあったしゴルフの会員権もありました。金融機関が『どんどんお金を借りなさい』『いろいろなものに投資しなさい』と、典型的なバブルの動きがありました。それがしぼんでいって債務だけが残った」(播野)
会社は倒産寸前という絶体絶命のピンチに追いこまれた。そんな中で立て直しを託されたのが播野。38歳の若さで社長に就任。しかし「何の引き継ぎもなくボンと渡された。工場も荒れていて、はっきり言って何をやったらいいか分からない状況でした」と言う。
播野は末期的な状況を目の当たりにする。営業会議に出席し、現状を把握しようと「今期、営業はどんな感じなんだ?」と聞くと、古参社員から「社長は、営業の事には口を出さないで頂きたい」と、耳を疑うような言葉が返ってきた。
社長の意見さえ聞こうとしない硬直化した縦割りの組織に、播野は強い危機感を抱いた。
「縦割りですから仲が悪かったんです。同じ営業でも東京と大阪で喧嘩をしている。製造、管理、営業と、みんな上同士が喧嘩しているんですね」(播野)
悩んだ末、播野は「縦割りの組織を一度壊すしかない」と決断。そこで始めたのが大胆な人事異動だった。
まず、東京と大阪の社員を半分入れ替えた。すると、今まで喧嘩していた同士が「急に静かになった。反対側に行ってみて初めて分かる。相手の立場に立ってものが考えられるわけです。これで現場の理解が深まっていったと思います」。
1985年入社の松田好司は、播野の改革をこう振り返る。
「やはり最初は反目する人もたくさんいたし、辞めた人もたくさんいました。そういうことを繰り返して、社内活性して改善されていきました」
人事戦略で生まれ変わり、危機を乗り越えたタマノイ酢。そこには副産物のメリットもあった。
奈良工場では他の部署から異動してきた社員の提案で「働き方」が変わったという。4年前から週休3日制になったのだ。ずっと1日8時間・週5日だった勤務が、社員の提案で、1日10時間・週4日に。「すでに決まっていることは気づきにくい。それが当たり前になっていた。そこに新しい意見が出て、『それはいいな』と」と、原田泰工場長は語る。
週休3日になって社員の生活にも変化が起きた。生産技術課の吉井秀樹は「まとまった休みでちょっとした資格を取りに行ったり、プライベートは有意義になりました」と言う。
普通の会社じゃない?~最先端すぎる「働き方改革」
播野は新人研修による人材育成も変えた。4日間、新人たちは自分の限界に挑み、ギリギリの所では助け合う。播野はこうして団結力を養う仕組みも作った。
さらに今、話題の「働き方」でも特徴的なルールがいっぱいある。
本社の中にスポーツ・ジムが。この日、社員がやっていたのはボクササイズ。こうして毎日30分間、勤務時間内のどこかで運動することを会社のルールにしている。播野も毎日欠かさず参加。「運動の後で会議をやると、みんな明るくなるんです」と言う。ジムには冷蔵庫もあり「はちみつ黒酢ダイエット」が飲み放題。みっちり健康的な時間を過ごせる。
午後8時前になるとオフィスは消灯。社員は帰らなければならない。残業を減らすこの制度は3年前に導入した。
さらに播野は他にはない雇用システムも作った。毎日夕方6時になると、一人帰る社員がいる。総務渉外課の田中かれん。彼女はタマノイ酢独自のキャリア制社員。最長5年間働ける契約社員だ。キャリア制社員に残業はなく、終業後、夢に向かって活動できる。
会社を出た田中はとある専門学校へ。始まったのは先生と生徒に分かれてのシミュレーション授業。そこは日本語教師を育てる学校だった。
「日本語教師になるという目標があるので頑張っています」(田中)
キャリア制社員は、正社員と同じ仕事を与えられ、福利厚生なども受けられる。現在34人がこの制度を利用しているという。5年間勤め上げた人には驚きの特典も。退職金に準じたお金として、50万円から100万円が貰えるのだ。
この制度を利用した人たちが現在、様々な分野で活躍している。神戸市の玉津中学校で教鞭をとる平井邦佳さんもその一人。教員採用試験に合格するまでの間、キャリア制社員としてタマノイ酢で働いていた。その時の経験も役立っていると言う。
「目上の方とのコミュニケーションの取り方を学ぶことができた経験は大きいかなと思います」(平井さん)
社会人としてキャリアを積みながら夢に向かって歩いていける。そんな応援をする会社があってもいいと播野は考えている。
一連の施策について、あらためて播野はスタジオでこう述べている。
「みんな『自分のために頑張りたい』と思っている。そのための道具、手段として会社があるという考え方が根本にあります」