文科省のトップだった前川喜平前事務次官の発言で、安倍総理の一大スキャンダルに発展するかに見えた「加計学園」問題。しかし、メディアは連日、前川前事務次官の「個人攻撃」を行い、世間の目は早くも違う方向に向かい始めています。メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、この政府のやり方を「いじめ」と、厳しい言葉で糾弾。「自由はすでになくなった」とも断じています。
もうすでに「暗黒」の中? 自由の行き詰まりが見えてくる
「暗黒」の時代を見ているような気がするのは私だけではないはずだ。
学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関する問題で、前文部科学事務次官が文部科学省内で作成されたとされる安倍晋三首相への忖度と受け取られる文書を「本物だ」とし、一連の手続きについて「行政がゆがめられた」と会見したことを受けて、政府の対応は、「前次官が証言した」という事実に正面から向き合わず、それを除け者にするような態度を取り続けている。
隠そうとするからなのか、釈然としない薄気味悪い政府の態度は、いつか見た「いじめ」の態度のようである。その悪意に満ちた政府の情熱は計り知れず、恐ろしささえ感じる。それはやはり自由が奪われた「暗黒」の中にいることの実感なのだろう。
1945年に話は遡る。戦争末期の沖縄戦は、米軍の猛攻撃の前に壮絶で凄惨な結末となった。
奇跡的に生き残った元「ひめゆり」隊の女性の証言によると、米軍の攻撃の最中、女子学生は軍人から突然自由を言い渡されたという。洞窟の外に出れば砲弾の標的になるだけという中での「自由」に、女性学生は、どこに行けばいいのかと「ご指示」を仰ぐが、「おまえたちは自由なんだ!」と日本軍は言い残して、どこかへ行ったという。
社会学者の見田宗介さんは「この時女子学生たちは、自由だろうか。自由というのは何であろうか。自由であるということはどこに行ってもよいということである。けれどもこれだけでは現実的に自由であるということにはならない。どこかに行けば幸福の可能性があるということ。『希望』があるということでなければ、現実的、実際的に自由であるということにはならない」(現代思想2016年9月号)と書いた。
物言う役人への圧力を見るに思う、もう「自由」は無くなったのか?