5月19日、衆院法務委員会において強行採決という形で可決された、いわゆる「共謀罪」法案。「充分な議論が尽くされていない」という野党の声は、またも数の力で葬り去られてしまいました。これを受け、毎回日本の新聞各紙を比較・分析するメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ DELUXE』の著者でジャーナリストの内田誠さんに、今回の事態の深刻さと、これまで行われてきた強行採決の歴史について特別寄稿していただきました。
衆議院法務委員会
「強行採決」の歴史に、また新たな一項目が付け加えられた。平成29年5月19日、ヤジと怒号の中、今国会最大の対決法案である「『共謀罪』の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案」の修正案(以下、「共謀罪」法案)が可決された。
強行採決は暴挙なのか、それとも仕方がないことなのか
強行採決の厳密な定義はない。敢えて試みれば、「与野党間で採決についての合意がないまま、与党側から出された動議をきっかけにするなどして、委員長あるいは議長の職権によって審議を打ち切り、そのうえで行われる採決」とでもするしかない。最近のメディアは、「強行採決」という言い方に心理的な抵抗があるのか、「採決が強行された」というふうに読み下す例が増えてきているように思う。はっきり意味内容が確定した「概念」としては扱いにくいからだろう。
しかし、「強行採決」であれ「採決が強行された」であれ、それが望ましくないことについては、与野党を超えて「共通認識」がある。もちろん、野党はこれを「暴挙」と呼び、与党は「やむを得ないこと」とするのだが、所詮、いつかは多数決でことが決まるのだから「仕方がない」というような、諦めに似た感覚で捉えている人が多いのかもしれない。形式論でいえば、それ以上でもそれ以下でもない。だが、本当の問題はその先にある。
衆参両院で与党が3分の2以上を占める現在、国会は「瀕死の状態」にある。与党が通したい法律は何でも通せるという傲慢さが瀰漫(びまん)するなか、政府側はまともに答えず、質問をはぐらかしたり無視したりして、結果、実質的な議論が行われず、多数が無理を押し通すことになっている。採決が強行されることはもちろん問題だが、本当の問題は必要な議論が行われぬまま、法律が通されていくことなのだ。
「共謀罪」法案について言えば、刑法の大原則を突き崩し、警察による市民の常時監視を可能にするような法改正が提案されているにもかかわらず、法務大臣が空疎な発言を繰り返すばかりでまともに答えず、ついには刑事訴訟法の存在意義まで否定するような暴言を吐いているのに罷免もされず、ただ「粛々と」審議なるものが続けられてきた。そして、わずか30時間を目安に、法務委員会での議論を終結させてしまったのだ。今回に限らず、国会審議の実質はどんどん劣化し、貧しいものになってきていると感じる。
原因の1つは自民党の内部にある。小選挙区制の悪影響によってか、「安倍一強」の貧相な姿の党になっており、もともと内部にあるはずの多様な意見、異論が予め封殺されている。野党は野党で、採決の強行を阻止する有効な手立てを見出せないまま、せめて、採決時に混乱があったことをアピールしようと、議長席に駆け寄って大声で抗議し、異常な国会審議の有り様を印象付けるしか抵抗の方法もない。ところが、パターン化されたその風景には、採決強行に怒り心頭の有権者でさえ、飽き始めている。
この国の民主主義が陥っているこの状況を打開するには、与党内の勇気ある議員たちに、議員としての誇りに掛けて、自ら信ずるところを堂々と述べていただくことを望みたいし、さらに、野党の皆さんには状況を変更させる力のある事実を発掘し、そのことを、貫通力のある新しいことばで政府側にぶつけ、追い詰めていく力を発揮して頂きたい。当たり前のことなのだが、そう念ずるしかない。