会社に勤務経験のある方なら、日本企業の定時には帰りづらい雰囲気をよくご存知だと思います。それに比べて、欧米をはじめ日本以外の国々では、個人(や個人の家族)の事情を優先させることは当たり前。なぜ、日本は個人の自由を尊重しない雰囲気が蔓延し続けているのでしょうか? メルマガ『週刊 Life is beautiful』の著者で世界的プログラマーの中島聡さんは、米国の習慣と米国の占領下で作られた「日本国憲法」を引き合いに出し、戦前日本の「国家主義」と今の日本人が抱える長時間労働問題は「根っこが同じ」と持論を展開しています。
日米の働き方の違いのベースにあるもの
少し前に、「リクナビNEXTジャーナル」のインタビューを受けたのですが、それがようやく記事になりました(伝説のプログラマーが説く「時間通りに絶対終わらせる」仕事の進め方)。
その中で、日本の長時間労働に関する質問があったのですが、それに対する私の答えを引用します。
中島:日本は全体主義的というか、「個人の理由」を尊重しない雰囲気がありますよね。納期を間近に控えて、みんなで残業を余儀なくされているときに、ひとりだけ「あ、今日は子どもの父兄会があるので、僕は帰ります」とは言いづらい。
アメリカはお互いの事情を尊重し合うカルチャーなので、「今回は僕ががんばるから、次回は頼むよ」なんて、わりと融通が利くんです。アメリカにもワーカホリックな人はいますが、家族の事情には寛容です。ちょうど昨日も重要な会議があったのですが、普段四六時中働いているような人に、奥さんから「水道管が破裂しちゃって大変だから」と連絡があって。昼間に帰っちゃいましたけど、それも全然許されますし。
米国のカルチャーを、日本では「個人主義」と呼び、しばしばそれは「自分勝手な行動をするカルチャー」と解釈されていますが、それは間違いです。
米国における個人主義は、「個々の人が持っている価値観なり事情を尊重するカルチャー」であり、その根底には、会社や国は、人々が利益や安全を得るための「道具」でしかなく、常に一番上に立つのは個人だ、という哲学があるのです。
だから、会社のために、もしくは、自分の出世のために一生懸命に働くということはしますが、自分の家族を犠牲にしたり、自分の価値観と大きく異なるまでのことはしないのが、当然の権利として認められ、かつ、尊重されているのが米国なのです。
その哲学は、フランス革命から始まり、米国の英国からの独立で一つの完成系を得、さらにそれが、人種差別や性差別の撤廃運動、同性愛結婚の合法化へと繋がる、大きな流れとなっているのです。
トランプ大統領が生まれてしまった理由の一つが、オバマ政権が行ってきた「左向き」の政策を心地よく思っていなかった、保守勢力にあることも見逃せない事実です。
そして、この「国は個人のために存在する道具に過ぎない」という哲学が、強く反映されているのが、米国の占領下で作られた日本国憲法なのです。