時計のセイコー、絶望の利益9割減。老舗ブランドに何が起きたのか?

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世界に誇る日本の老舗メーカーのひとつ、セイコーホールディングスが苦境に立たされています。同社の発表によると、純利益が95%も減少しており、それ以外の数字も芳しいものではありません。技術力の衰えとは無縁のセイコーは、なぜこのような状況に陥ってしまったのでしょうか。無料メルマガ『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』の著者で店舗経営コンサルタントの佐藤昌司さんがその理由を考察するとともに、今後同社が進むべき道についても記しています。

利益9割減。セイコーが時を刻むために必要なこととは

佐藤昌司です。セイコーの時計の針は止まってしまうのでしょうか。

セイコーホールディングスは2月14日、2016年4~12月期の連結決算は、売上高は前年比16.6%減の1910億円、本業のもうけを示す営業利益は58.7%減の56億円、純利益は95.0%減の6億円と発表しました。大幅な減収減益です。

国内では、インバウンド(訪日外国人)需要が低調で、高級時計の販売が伸び悩みました。セイコーは高級時計でも定評があります。「グランドセイコー」「クレドール」「ガランテ」といった高級時計を扱っていますが、そういった高価格帯の時計が不振でした。

海外では、ドイツやオーストラリアをはじめとして多くの市場で好調に推移しましたが、円高の影響により円換算した売上高は減少しました。また、アメリカのデパートでの販売が不振だったことも影響しました。ちなみに、売上高比率は海外がおよそ50%、日本がおよそ50%です。

セイコーは時計を販売する店舗や商業施設の運営も行なっています。傘下の商業施設「和光」はセイコーの時計や宝飾品などを扱っています。東京・銀座の中心地にあり、著名人や訪日外国人が多く訪れることで有名です。今回の決算では和光が赤字で業績に影響しました(2017年2月14日付日本経済新聞より)。

セイコーのこれまでの歩みを見ていきます。1881年に服部金太郎が前身の「服部時計店」を創業したことから始まります。1887年に銀座の表通りに進出し、1895年に現在の和光がある場所に時計台を設置した後に移転しました。和光は1947年に小売部門を継承したことで創立しました。そのため、和光は2017年が創立70周年となります。セイコーは2016年に創立135周年を迎えています。

1892年、服部金太郎は精巧な時計をつくりたいという気持ちを込めて「精工舎」という時計工場を設立しました。欧米に負けない時計事業を興すことを目指しました。工場に寄宿舎をもうけ、熟練工の養成にも力を入れました。こうしたことから、服部金太郎が時計づくりで「精巧さ」にこだわっていたことがわかります。

服部金太郎は精巧な時計をつくることに加え、当時からブランディングやマーケティングの重要性も強く認識していました。例えば、創業時から会社のトレードマークを創案しています。1924年に「SEIKOの商標を初めて使用しました。1953年には日本初となるテレビCMの放送を行っています。1964年の東京オリンピックでは公式時計に採用されています。以降のオリンピックでも何度か公式時計として採用されました。「精巧さ」以外でも時計の価値を高めるための努力を行なっていったのです。

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