無類の鉄道ファンで、自身のメルマガでも鉄道に関する話題をよく取りあげているジャーナリストの冷泉彰彦さん。今回は1999年にデビューし、晩年を迎えつつある「新幹線700系電車」について、愛惜の念を込めて語っています。
『晩年』を迎えた新幹線700系電車
N700がデビューして以来、そしてN700A(アドバンスト)に進化したり、初期型のN700が重整備時に改造されて「改造N700a」になったり、東海道・山陽区間の車両運用はN700系を軸に展開してきました。
2011年の九州新幹線鹿児島ルートの全通と、新大阪=鹿児島中央直通運転開始後は、山陽区間では8量編成で淡青色の「九州仕様N700」も多く見かけるようになっています。
一方で、東海道・山陽では300系が完全に退役、一時期大人気を博した500系も、今は東海道区間からは「追放」されて、8量編成に編成替えとなって山陽区間の「こだま」の一部で運用されているに過ぎません。この500系も完全退役へのカウントダウンに入っています。
その一方で、この東海道・山陽新幹線の主力車両として一時代を築いた「700系車両」も、静かに「晩年」に差し掛かっているということを指摘しないわけには行きません。
初めての270キロ運転という課題を背負って、様々なトラブルに直面した300系や、初めての300キロ運転を達成するために、居住性を犠牲とせざるを得なかった500系と比較しますと、700系というのは一見すると派手さに欠けるのかもしれません。
ですが、全盛時には東海在籍、西日本在籍合わせて「91編成」がフルに活躍していたこの700系は、16両固定編成定員1323名の輸送力(これは300系以来の東海の伝統)と、最高285キロ(山陽区間)という速達性をもって、正に東海道・山陽の一時代を支えてきたと言えます。
営業運転への投入は1999年、そして2003年から04年頃には主力車両として300系あるいは100系を置き換え、そこから10年間は正に東海道・山陽新幹線という巨大動脈を牽引してきたのが、この700系です。今となっては、N700やE5・H5/E6など「もっと長い鼻」が普通になっていますが、登場した当時の700系は「カモノハシ」のような顔だと人気を博して、その空力特性、特にトンネル微波動対策が最新のものだと話題になったのでした。白を基調に青帯を配したデザインも、この700系はバランスが取れているように思います。
ある意味では、この700系というのは1964年に開業した日本の新幹線の一つの完成形でした。0系、100系は性能的に発展途上、そして300系や500系は技術的な試行錯誤という位置づけが免れない中で、700系というのは、一つの大きな達成、そして完成形であると思います。
2000年代の前半に、今ほど日本との往復をしていない時期に、久しぶりに日本に一時帰国をして、初めてこの700系に乗った時の感慨は忘れられません。日本の新幹線はとうとうこんなレベルにまで到達したのか、そんな感動をしたのを覚えています。