同じ子どもに勉強してもらうなら、ちょっとでも楽しく……と考えるのが親心というもの。ところが、その“楽しさ”を単純に“正解すること”という風に仕向けると、子どもの勉強への興味は徐々に失われていくと、無料メルマガ『齋藤裕一の「教育力」と「勉強力」 ~ココだけのリアル話~』の著者・齋藤裕一さんは警鐘を鳴らしています。
勉強する楽しさとは?
「楽しく勉強してほしい!」 よくこのようなご要望をいただくことがあります。そこでこのコラムでは楽しさについて考えてみたいと思います。
子どもたちが、勉強が楽しい、と感じる瞬間は大きく2つあります。
一つは、正解する楽しさです。正解する楽しさとは、問題を解いて、マルをもらって「やった!正解だ!」と正解することの楽しさを指します。
そしてもう一つは、考える楽しさです。考える楽しさとは、こうしたらどうだろう、あぁしたらどうだろう、と様々なアプローチから考える楽しさのことを指します。
この楽しさは正解しようか不正解だろうが関係はありません。最終的な結果が大切なのではなくて、その途中の考えることそのものが楽しいのです。
この2つの楽しさは両方ともに欠かせない楽しさです。しかし、子どもたちと接していると、正解する楽しさばかりにこだわりすぎていて、考える楽しさがゴッソリと欠落しているお子さんがいます。とにかく正解すれば楽しいんだ、という状態です。
今はこの状態でもよいかもしれませんが、実はこのままでは何年間も勉強が続きません。
たとえば、解き方を丸暗記すれば、正解する楽しさはすぐ味わうことができます。しかし、無味乾燥な公式を丸暗記して正解することに、お子さんはいつまで価値を感じ続けることができるでしょうか。
あるお子さんは私にこう言います。「こんなの覚えたって意味ないじゃん」と。
特に、中学生・高校生くらいから、このような発言をする子が目立つようです。よくわからないものを丸暗記することに、価値を感じられなくなっていることがうかがえます。
そして、最後には次のようなことを言うのです。
「頑張って正解するくらいなら、頑張らずに不正解のほうがいい」
とにかく頑張って繰り返し演習して覚えて正解するくらいだったら、頑張らずに適当にやり過ごして覚えないで不正解するほうがいい、というのです。
「苦労して覚えて正解する楽しさ」よりも、「苦労までして覚えず不正解になる辛さ」を味わうほうがいいという状態になっています。これは正解する楽しさだけを強調し続けた結果と言えるでしょう。