「国語の読解問題はとにかく本文を読め!」学生時代、学校や塾の国語の授業でこんなことを言われた経験はありませんか? ところが、まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、「ふくしま国語塾」主宰・福嶋隆史さんの記事によると、レベルの高い記述問題を解くときには「本文を読めば読むほど答えが出せなくなる」とのこと。果たして、その理由とは一体何なのでしょうか? 記述問題が苦手なお子様をお持ちの親御さんは必読の記事ですよ。
国語読解で「本文をよく見ろ」と指導しすぎるのは、逆効果。その理由とは?
「本文を根拠にして答えるのが読解。本文をよく読め」と、国語教師は強調しすぎなのではないか。本文をよく読むのは当然だが、よく読んだのならあとはもう本文を見ないで答えるというのが、本当の読解なのだ。
読解とは、その全てが「言いかえ」である。それは、3つのタイプに分かれる。
1)出題者が本文を言いかえて作った選択肢から、選ぶ設問。
2)筆者作者が本文の中で自ら言いかえている部分を抜き出す設問。
3)読み手が、自分の言葉で言いかえる設問。つまり記述式。
この3の「自分の言葉で」の意味を、勘違いしてはいけない。これは、「自分の意見を入れて」ということではない。読解とは他者の言葉の再構成であるから、読み手の意見を極力除外し、なおかつ書き手の言葉とは異なる言葉で、意味がズレないよう言いかえる。それはすなわち、抽象化・具体化のこと。
読解とは、究極的にはこのプロセスをこそ意味する。先に挙げた1や2は、レベルの低い要求。
ところが、多くの読解問題は採点の都合上1や2でできている。もちろん、これらを解くにも抽象化・具体化の能力は必要だが、本来は自分で行うべき抽象度や意味範囲の調整は、他者がやってくれる。その意味で、レベルが低い。
そして、その1や2の設問を与えることに慣れ切っている塾講師が、夕方にも書いたように「本文を見ろ!」と指導し、それを受けた生徒は、設問の答えを考えるときに本文から目を離さないようになる。