毛利勝永(もうり・かつなが 1578年-1615年)
『真田丸』HP情報!
★インタビュー★五人衆の中で、最も冷静で底知れなさを感じさせる毛利勝永。演じる岡本健一さんに、役柄を語っていただきました!https://t.co/DOpeOg2vGr#真田丸 #毛利勝永 #岡本健一— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016年10月30日
「幸村」と同じく、「勝永」という名前は当時の資料にないそうで、資料では毛利吉政という名前が残されています。また元は森という名字で、秀吉の指示で毛利になったと言われています。『真田丸』を観ていると、大坂の陣で急に出てきた感じがありますが、割と古くから秀吉に仕えています。
関ヶ原では西軍に付き、勝永は前哨戦などで活躍したのですが、実家の豊前も小倉城を官兵衛(黒田如水)に落とされるなどし、お家は改易。加藤清正や、山内一豊の元を転々としながら保護を受けていましたが、大坂の陣を迎えるにあたって秀頼から請われ、徳川の手伝いに行くと嘘をついて出奔します。
大坂城に入ってからは『真田丸』のとおり、又兵衛たちと共に、大坂五人衆として活躍します。岡本健一さん演ずる勝永、かっこいいですよね。ジャニーズで男闘呼組のメンバーとして活躍されていたと聞けば、私たちの世代には納得。息子は同じくジャニーズで、「Hey! Say! JUMP」のメンバーです。
長宗我部盛親(ちょうそかべ・もりちか 1575年-1615年)
『真田丸』HP情報!
★インタビュー★五人衆の中でも、寡黙な印象の長宗我部盛親。阿南健治さんが盛親の背景を語ります!https://t.co/hv4gKVDOoE#真田丸 #長宗我部盛親 #阿南健治— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016年11月20日
四国の雄、長宗我部元親の四男です。長兄が豊臣との戦で亡くなった後、父親の後押しもあり、兄弟を押しのけて若くして家督を相続。家督相続後、父親と共に領国経営にあたります。豊臣との関係は微妙なものと言えば微妙なもので、扱いは低かったとも言われていますが、だからこそなのか関ヶ原では西軍に。
で、西軍に付くも、前方に布陣した毛利の陣は東軍に内通しており、どうやら敗色が濃いということもあり、動けないままに終了。親交のあった徳川重臣の井伊直政に勧められて家康に謝罪するも、なんだかんだで結局改易に。
家臣たちとも散り散りになり、京都で蟄居生活を送っていましたが、大坂の陣を迎えるにあたって、これまた徳川に味方したいんだと嘘をついて京都を脱出。大坂城に入り、長宗我部家の再興を期する旧家臣団も盛親の元に集まります。そのため大坂五人衆の中では、最も大きな勢力を従えています。
『真田丸』では阿南健治さん演じる盛親の濃い顔がなにより印象深いですが、12月4日の放送でもあったように、お家の再興が悲願です。そのためならなんでもします。最期の最期まで命を繋ごうと、敗戦後も自刃しませんでした。