大陸から届いた妻と娘への手紙…戦没兵士が残した愛のメッセージ

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今年は戦後70年の節目。痛ましい戦争の記憶を語り継いでいくことが、現代を生きる我々の使命かもしれません。そこで今回は、戦没した兵士たちが家族などに宛てた手紙を紹介する、あるメルマガの中身をご紹介。今と変わらない家族のほほえましい風景が、そこにはありました。

~戦没兵士の手紙集~その13

いよいよ春が来た。揚子江も上流が雪解けしたのか水量が増して、無数に浮かぶ水鳥の鳴声もひときわ陽気に聞こえる。木としては柳だけけしかない。荒野も若芽の緑に一色いろどりを加え、街には避難民が沢山帰ってきて、日章旗や五色の新政府の旗がひるがえって、来るべき春と共に陽気である。

 

近頃は勤務員全員交代して今は岩田隊事務所の人事係の助手をしている。相変わらず呑気であるけれど腹の減らないのだけは困る。朝食など食えない日が多い。しかし元気で居るから……。

 

おばあさんは、老体だから気をつけてくれ。家の方は皆変わりないか。子供らも元気か、貴女もあまり無理しないようにしてくれ。

 

二部隊ははや帰ったそうだけれども自分はいつか分からない。噂には6月まで、即ち5月一杯には12年度の徴収者は全部交代すると言うけれど……。夏までには帰りたいと思う。

 

こんなきたないところに夏までおらされたら参ってしまいそうだ。蚊や蠅は全くひどいらしい。同封して写真を送る。自分のはまだできて来ないからでき次第送る。しまっておいてくれ。

 

書きたいことが沢山あるが次の時にする。

 

蜜柑出始めたと思う。俺の作ったレッテルはよかったかい。半箱で出しているか、小箱の正月出しはどうであったか、値段は?

 

多忙になってきたことと思う。皆あまり無理な働きをせぬようにしてくれ、暇が出来たらなるだけ詳しく知らせてほしい。

 

別にほしいものはない。慰問品も相当もらったし酒保もできたから。

貴女の写真(よし子と写したもの)があった筈だから送ってくれ。

 

皆のものはよくねむっている。取り急ぎ乱筆失礼、判読あれ。

 

夫より

      ふき江様

(昭和19年12月2日 東シナ海にて戦死 32歳 陸軍上等兵)

愛する妻への手紙、娘よし子と撮影した写真があったら送ってくれと書いている。子供の成長が気に掛って仕方ないのであろう。戦場に居ては考えることは故郷に残した家族の事ばかりだろう。

揚子江に近い土地に駐留しているのであろう。夏は不衛生だから一刻も早く内地に帰る希望を持っている。この手紙の日付は分からない。よし子さんと写した写真は彼の元に届いたのであろうか。彼は昭和19年12月に東シナ海で戦死した。

酒保とは、軍隊の営内にあった、日用品・飲食物の売店。

・昭和19年10月~11月の戦況
10/20 米軍、レイテ島上陸
10/24 フィリピン沖海戦
11/24 B29 東京初爆撃

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『≪≪<戦場から故郷への便り>≫≫ 』
戦没兵士の手紙集の連載です。雪凍る北満の地で、暑熱のジャングルや孤島で、傷つき倒れ、あるいは飢え、また太平洋の底深く沈められ、はては沖縄で武器も持たず丸裸で殲滅されていった人たち。 戦没兵士の思いを戦後70年の今に伝えもす。
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