高齢者による犯罪や迷惑行為の増加が社会問題化しています。このような行為の裏には、「定年後のミッドライフクライシス」の存在がある、とするのは無料メルマガ『東北NO1メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』の著者で心理カウンセラーでもある吉田こうじさん。いったいなぜ、現代の高齢者たちはそのような心の闇を抱えるようになってしまったのでしょうか。
高齢者が抱える心の闇(病み)
先日、「成熟していない老人の問題」というニュース記事を読みました。万引き、ストーカー、傷害、窃盗、近所迷惑を顧みない行為などなど…、高齢者の犯罪や迷惑行為が増加しているそうです。
僕が子供の頃であれば、老人は地域の子供達を見守り、時には説教されるような道徳心に溢れる存在だったのですが…、高齢社会の現代では、人生は「一つの山」を登って降りるのではなく、人生の中でいくつもの山を登り降りすることを考えておかないと、例えば定年退職した後の虚無感をどう扱っていいのかわからず、心が病んでしまうことがあります。
これまで身を粉にして働いて退職した途端に、これまでのように愚痴を言い合える仲間もいなけりゃ、ましてや手足のように働いてくれる部下もいなくなり…。自分の居場所が家庭には無いような気がする…。なんとなくこれまでやっていたゴルフにも興味がなくなり、体を動かすこと自体がしんどくなってきて…。
そんなある日、ふと、これまでの自分の人生を振り返り、「自分の人生、本当にこれで良かったのだろうか?」「こんなはずじゃなかったのでは?」こうしたことを考えます。そこから無限ループが始まったりします。
ミッドライフクライシス(中年の危機)を上手に乗り越えると、きっと「生きている」という実感を持ちながら生活できると思うのですが、ミッドライフクライシスを避けてみたり、あるいは他責にして強引に乗り越えたふりをしてしまうと、後になってからジワジワとつけがやってきます。
例えば、お金はあるのに万引きする時、自分では気づいていないのでしょうが、そこに「生きている」という実感を持ちたい心理があります。スリルを感じないと生きている実感が持てないのですね。
例えば、人の迷惑を顧みないで、大声で騒いでみたり、駅員に絡んでみたりする時、自分では気づいていないのでしょうが、「自分はここにいるんだ」という承認欲求への渇望の叫びがあります。
ニュース記事には「失うものが何も無い高齢者」だから、傍若無人な振る舞いをすると書かれていたように思いますが、僕は真逆だと思っています。「これ以上、何かを失うのが怖くて怖くてたまらないから」記事に出ていた行動をしているというのが僕の持論です。