NHK大河ドラマ『真田丸』を放送直後にワンポイント解説する人気連載シリーズ。今回は、「二重公儀体制」について。豊臣家と徳川家、日本にふたつの政権が併存したという「二重公儀体制」については疑問を唱える声もあるようですが、著者の西股総生さんは、秀吉が信長から力を引き継いでいく過程を全て見ていた賢い家康が「秀吉よりも上手くやろう」として築いた体制だったのではないかとの見方を示しています。
今回のワンポイント解説(10月9日)
二重公儀体制。関ヶ原合戦から大坂の陣にいたる戦間期を、最近の研究では、こう呼ぶことが多い。つまり、豊臣家はいまだ中央政権としての実態を完全に失ってはおらず、大坂と江戸に二つの権力が並び立っていた、という考え方だ。実際、豊臣系の諸大名は、いまだ秀頼に対して臣下の礼を取りつづけていた。
「本来の」政権が上方にあって、簒奪による軍事政権が関東に並立しているわけだ。この並立状態は、鎌倉幕府と同じ。室町幕府だって政権の所在地が一緒だっただけで、権力の焦点が二つあった、という意味では同じ。ある意味、日本の武家政権にとっては通過儀礼のようなものともいえる。
さて、豊臣家(正しくは羽柴家)の本領は摂津・河内・和泉で、本拠(戦略拠点)は大坂城。「天下」はもともと京都だったから、全国政権としての「本来の」所在地は伏見。秀頼が成長して関白に任じられれば、おそらく伏見城に入ったことであろう。
一方、徳川家の領地は関東で、本拠(戦略拠点)は江戸。でも、征夷大将軍を秀忠に世襲させた家康は、大御所として駿府城にいた。かつて秀吉は、豊臣家(羽柴家)の家督と関白職を秀次に譲って、自分は肩書によらず実力で全国の大名を切り従える方向に進んだ。家康も同じように、徳川家の家督=征夷大将軍という形を作って秀忠に譲ったわけだ。家康にとっての駿府城は、秀吉にとっての伏見城と同じ位置づけだったとわかる。
では、なぜ駿府かというと、家康が大坂城や伏見城にいたのでは、豊臣家の権力を簒奪している様子がミエミエだから。これでは、秀頼に対して臣下の礼を取りつづけている、豊臣系諸大名の反発を招くばかり。そこで、「本来の」中央政権としての豊臣家には表向き、手を付けずに、あくまで徳川家は徳川家ですよ、というスタンスをとりながら、自身は実力によって全国の大名を従わせる方向に進む必要があったわけだ。
だから家康は、関ヶ原の前哨戦で焼失した伏見城を再興するとともに、洛中には徳川家の宿所として、新たに二条城を築いている。「本来の」中央政権である豊臣家の執政としては伏見城を必要とし、「徳川家は徳川家ですよ」という簒奪者の立場では、二条城が必要だった、ということだろう。
このあたり、秀吉が戦略上の必要から京阪神地域に次々と城を築いていったのと、よく似ている。 家康はかつて、小牧・長久手の戦で信雄と結び、秀吉が織田家の天下を簒奪してゆく様子をまのあたりにしていた。「秀吉よりも、うまくやろう」と思っていたんだろうな、きっと。(西股総生)
《今週のワンポイントイラスト》
とうとう幸村になった信繁!ここからはフィクションもガンガン取り込んでいく…!? (みかめ)
文・絵/TEAM ナワバリング(西股総生・みかめゆきよみ)
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◎10月20日(木)19:00〜 「ちゃらぽこ六文銭裏講座」では、関ヶ原合戦の戦後処理と徳川家康の覇権確立を中心に、昌幸の残した軍略などについても語る予定。
◎12月17日(土)新府城&谷戸城(山梨県)~クラブツーリズム日帰りバスツアー
最終回直前企画です!ドラマの最初の舞台となった新府城を歩きながら、幸村の成長の軌跡をいっしょにふり返ってみませんか?
旅行代金 15,500 円(昼食付)
コース番号 03337-098 でお問い合わせ下さい。
◎12月23日(金)
トークイベント「信繁と幸村の 2016 年をふり返る」
とうとう幸村と名乗ってしまった信繁。彼はなぜ、ここで幸村と名乗ったのか? はたして史実をどこまで逸脱するのか?第2次上田合戦と大坂の陣を中心に、『真田丸』について、裏話も交えながら楽しく語ります。
第 1 部「今こそ語りたい第2次上田合戦と大坂の陣」…西股総生
第 2 部「サブカルで楽しむ歴史とドラマ」…西股総生・みかめゆきよみ・磯部深雪
場所 : 新宿クラブツーリズム(新宿アイランドウィングビル)
コース番号
第1部 C2021-098 入場料 1,000 円
第2部 C20212-098 入場料 500 円
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今週の『真田丸』SNS反応【編集部まとめ】
日本全国のサラリーマンが片桐殿に同情 #真田丸 https://t.co/NtM9G0OICt
— いが(たろに) (@iga_iganao) 2016年10月9日
大坂城の御文庫、治部も刑部もいないだけじゃなくて、書物がまるっきりなくなっていた。政治の中枢はとっくに江戸に移り、豊臣家がまとめるべき仕事、書類はゼロに。なんて物悲しい部屋になってしまったんだろう。#真田丸
— ぬえ (@yosinotennin) 2016年10月9日
関ヶ原を45秒で終わらせて浮いた経費が、今ここで爆発する! #真田丸
— 各務原 夕@向上心のないゾンビは馬鹿だ (@nekoguruma) 2016年10月9日
クラスタさんたちがずっと言っていた、信繁って実は小さな策を弄しているだけで成功してないよね、裏目にしか出てないよねというのを意識的にやっていた脚本だったんだなと、きりちゃんの台詞で明確に分かる。 #真田丸
— いが(たろに) (@iga_iganao) 2016年10月9日
戦が好きではないと言いながら伊達軍をフルボッコにしてくれたあの戦は忘れんぞ! #真田丸
— 伊達 政宗 (@bot_dt_masamune) 2016年10月9日
真田丸第40回1614年
真田信繁47歳
真田信幸48歳
真田大助13歳
阿梅10歳
矢沢頼幸61歳
羽柴秀頼21歳
片桐且元58歳
大野治長45歳
明石全登48歳
淀殿45歳
徳川家康71歳
本多正純49歳#nhk #真田丸— くろま@おいでよ真田丸の沼 (@kuroma_9) 2016年10月9日
ふざけて作ってみた。反省はしてない。 #真田丸 pic.twitter.com/nj39PDYGFD
— あるぺ☆ (@alpe_terashima) 2016年10月9日
「あんたのこれまでの人生何ひとつ実になってないじゃん」という(視聴者の誰より痛烈な)きりちゃんのツッコミと「なんとか官兵衛」に、三谷さんの情け容赦のない視聴者へのメッセージを読み取ったような気がしてならない。「わかっててやってんだから最後まで見てから文句言え」的なww #真田丸
— rose (@Lazyrose_1999) 2016年10月9日
「伏線の回収」のひと言で済ますにはあまりにも膨大な伏線、布石、暗示、示唆の数々。どれもその時は「伏線になるんだろうな」と思って気に留めていたシーンが雪崩をうって押し寄せて、一気に集約されるエピソード群にめまいがする。そして今日この時のためのきりちゃんだったんだなあ。 #真田丸
— rose (@Lazyrose_1999) 2016年10月9日