元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さんがブログで人工透析患者に向けて言った過激発言が「炎上」し、話題を呼んでいます。長谷川氏はJ-CASTニュースのインタビューで「本当に苦しんでいる人(先天的・遺伝的な原因の人)は別」としながらも、全国腎臓病協議会への謝罪は断固拒否。これに対し、メルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』の著者で元ジャーナリストの上杉隆さんは自身の経験を交えながら、長谷川氏に真っ向から反論しています。
人工透析は悪のシステムか?
『自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!』(長谷川豊氏)
驚くべきタイトルのコラムだ。表現の自由の保障されている日本では確かに許容される発言の範囲は大きい。だが「殺せ」という表現はどうなのか。どうにも穏やかではなく、許容範囲を超えているように思うのはわたしだけではないだろう。
きっと長谷川氏の言葉を知って、怒りを覚えたり、悲しみに襲われる患者や家族もいるだろうに…。想像力の欠如と言ってしまえばそれまでだが、他人の苦しみを感じることができないのだろうか。
実際、わたしもそうしたうちの一人だ。父は30代半ばに発症した腎臓病と戦い続け、60歳ちょうどで人生を終えた。その間、わたしを含む3人の子どもは15歳になるまで、東京都などからの公的な支援を受けることで大人になることができた。都知事選で「東京への恩返し」とわたしが言い続けたことはそのためである。
当時から人工透析は極めて高価な医療行為であった。父が、家族とともに過ごし、仕事を再開できたのも、人工透析があったからに他ならない。都営住宅への入居、医療費の負担などの公的な支援を受けながら、父は20年以上にわたって人工透析を受け続けて、一人の日本人として死んでいった。
1回6~7時間。針を刺しっぱなしで血液を透析する。血管が弱っていくため、腕から脚、腹と針を打つ場所も変わる。カネだけの問題ではない。体力的にも精神的にも極めて辛い治療なのだ。
仮に、こうした公的に支えるシステムがなければ、人工透析患者の父はもちろん、母も、そして、わたしを含む3人の妹弟もこの世にいないだろう。実際、母は一度だけだが、「心中」を考え、海にまでわたしを連れて行っている。