2000年、ハル研での経営手腕を、当時の任天堂社長だった山内さんに高く評価され、任天堂に入社。
取締役経営企画室長に就任。
2002年、山内さんから後継者として指名を受け、入社後わずか2年、42歳という異例の若さで、任天堂の4代目社長に就任。
このとき、山内さんに呼ばれて、マンツーマンで3時間ほど経営哲学を説かれたという。
この時まで任天堂は、100年以上ずっと山内家の同族経営体制が続いていた。
社長の血縁でも、生え抜きでもなく、40代前半という、異例のキャリアと若さでの社長就任に驚く人々もいたが、当時の任天堂はプレイステーション2の大ヒットとゲームキューブの立ち上げ失敗によって、ゲーム業界の中心的立場をすっかりソニーに譲ってしまっていたため、あまり話題にならなかったという。
任天堂の社長に就任した岩田さんは、当時世界のゲーム人口が微減傾向にあったことも踏まえ、
「ヘビーユーザーにターゲットを絞っていては、いずれ市場が死んでいくのでは」
と考えた(これはHAL研究所時代からずっと危惧していたという)。
そしてその対応策として、
「それまでゲームに触れたことのない、ゲームに関心が薄い大人や女性層を開拓し、新たに取り込む」
ために、直感的に操作できる新たなゲーム機の開発を進めた。
そして、2004年に発売したのが、タッチパネルを含めた2画面という斬新なコンセプトの携帯ゲーム機、ニンテンドーDSだ。
これがゲーム史上に残る大ヒットを記録。
対応ソフトも、これまでなかった「間口が広くて奥が深い」新ジャンルを次々に開拓。
「脳を鍛える大人のDSトレーニング」
「おいでよ どうぶつの森」
「ニンテンドッグス」
等などミリオンセラーを続々と世に出し、グローバルにも普及させた。
最終的に、ニンテンドーDSは、全世界で1億5000万台以上を売り上げ、任天堂を再びゲーム市場の中心へと返り咲かせることになる。
さらに、
「直感的で新鮮な操作」
というコンセプトは、携帯ゲーム機だけでなく、据え置きハードにも反映されることになる。
2006年に発売されたWiiは、リモコン型コントローラという新たな操作体系を取り入れ、やはり大ヒット。
こちらも世界で累計1億台を超える売り上げを記録。
なんと、社長就任の2002年から2008年までの7年間で、任天堂の売上を約3倍に増やし、営業利益は、1,191億円から4,872億円へと約4倍にと急拡大させたのだ。
すごい経営手腕。
2011年にはニンテンドー3DS、2012年にはWiiUを、大ヒットしたDS、Wiiの後継機種としてそれぞれ発売。
しかし、その頃から世の中に急速に普及してきたスマートフォン(iPhoneの発売開始は2007年6月)により、いわゆるライトユーザーが、スマホゲームに移行していったことなどから、3DSはともかくとして、WiiUは想定した販売台数を下回るようになり、任天堂は、再度、戦略の転換を迫られ、紆余曲折いろいろなことが起こっていた。
そのような流れもあって、2015年(つまり今年)3月には、携帯電話向けゲームの大手であるDeNAとの資本提携を発表。
そして、2015年7月11日、胆管腫瘍により、岩田さんは京都市内の病院で逝去された。
享年55。
任天堂から発表があったのは、13日だった。
なお、岩田さんが亡くなられた後、任天堂の代表取締役社長は空席で、まだ後任は未定。
当面は、代表取締役の竹田玄洋と宮本茂が社長業務を代行すると伝えられている。
image by: Wikipedia
『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』 Vol.149より一部抜粋
著者/りばてぃ
ニューヨークの大学卒業後、現地で就職、独立。マーケティング会社ファウンダー。ニューヨーク在住。読んでハッピーになれるポジティブな情報や、その他ブログで書けないとっておきの情報満載のメルマガは読み応え抜群。
≪無料サンプルはこちら≫