8月8日に公表された天皇陛下の「お気持ち」について、メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の著者である冷泉さんは前回の記事で、その目的は「国民への暖かな配慮だった」と考察しましたが、今回はその目的を別の観点から再考察。冷泉さんは、陛下の「お気持ち」には政治的な介入の意図はなく、あくまでも次世代への「継承」を目的とした「私的」なものだったのではないかとの持論を述べています。
生前譲位の目的は、宮中祭祀のスムーズな継承なのでは?
天皇陛下の生前譲位問題については、何度かこのメルマガでもコメントして来ました。「お言葉」から少し時間が経過する中で様々な意見が出ているものの、十分に論点が出尽くしていないことが気がかりです。
(前回お話しし足りなかったことの補足になりますが、)私は今回、譲位という提案がされたことの本意については、「お言葉」の最後に述べられた大喪と即位礼が「同時進行することの大変さ」という点を、良く考えることが大切だと思います。
一つには、譲位というのは、在位中の天皇が亡くなった際の大喪と、先帝崩御イコール新帝即位となる即位関連の儀式が「重なる負荷」を激減させる効果があるわけです。まず、新帝即位の時点では先帝は存命であるわけですから、大喪という大きな行事が重なってきません。ですから、落ち着いて即位関連の儀式に専念できることになります。
特に新帝即位に必要な「践祚、即位礼、大嘗祭」の中で、大喪と重なる場合は践祚だけやって、後は先帝の喪の明ける1年後を待って即位礼と大嘗祭ということになるわけですが、先帝存命という場合は、「喪」ということは考えなくていいわけであり、この3つの行事をコンパクトに行う中で簡素化も可能になってくると思われます。
二つ目には、仮に将来において太上天皇が崩御したとしても、これは在位中の崩御ではありませんから、大喪にはならない、つまり葬祭の簡略化が可能になります。
三つ目としては、恐らくここが重要なのですが、即位礼に関して今の陛下は、戦後初の即位ということで前例を踏襲しつつ、また必要な祭祀に関してはそれを復活させるなど、試行錯誤の中で行われたということが拝察されます。
そんな中、「践祚、即位礼、大嘗祭」に関しては平成の場合は、かなり大掛かりになっていたという理解が可能です。