「外国人の友達を作りたい人は必見!」
このようなキャッチフレーズで集客しようとするイベントの招待が一ヶ月に何回も筆者のところに届くのである。英語で話したいなり、「外国人の彼女」を作りたいなり、異文化を体験したいなり、このようなイベントに参加する動機は人それぞれである。また外国にルーツを持つ人と会って話をしてみたいという純粋な気持ちで「参加する」ボタンを押す人も少なくないであろう。
このようなイベントの背景には、文化交流の機会を作るという素敵な動機があるに違いない。しかし、イベントを立ち上げた人に悪意はなくても、その広告が偏見的なイメージを強調し、外国にルーツを持つ人を不愉快な気持ちにさせしまう場合がある。異文化体験を楽しめるせっかくのチャンスなのに、偏ったメッセージで告知するとイベントを台無しにしてしまう可能性もある。
では、「外国人」をキーワードにした好ましくない広告事例をみてみよう。
外国人といえば「金髪の白人」
依然として日本のテレビCMにおける外国にルーツを持つ人の描き方に偏見が含まれており、2014年に放送されていたANAのCMのように、金髪で鼻が高いというイメージが強調されてきた。差別的な描き方であると指摘されANAは謝罪したが、ステレオタイプ的な「外国人像」はいまだに存在している。
文化交流という目的のイベントの告知ページでさえ常に使われているのは金髪の背が高い白人の画像である。日本に滞在する外国にルーツを持つ人の中で、このような偏見的な描き方に対して違和感を抱かない人はいないと言っても過言ではないだろう。
「外国人」を珍しい動物扱いしていない?
某イベントのWebサイトでは、海外の雰囲気を味わってもらうために「外国人」には無料で参加してもらうというキャッチフレーズがあった。「異国感を味わう」なり、「外国人が溢れる」なり、外国にルーツを持つ人を珍しい動物かのように扱うそれらの言葉に不快な気持ちを抱いてしまった人は少なくないだろう。実際、このサイトを見た人たちから「『外国人』はだれも参加してほしくない」という声がSNS上に上がる事態になり、広告が逆効果になったのは明らかだ。
さらにこのような広告にはもう一つの偏見が潜んでいることがある。外見が「外国人っぽい」人が登場する場合、英語あるいは片言の日本語しか話さないように設定されていることが多いのだ。つまり、「金髪の白人」というイメージに「英語しかできない」というステレオタイプがより一層強調されているのである。
自分の中の壁を崩す新たな自分を発見する
多様な社会になりつつある日本においていまだに外国にルーツを持つ人の「異国性」が強調されがちである。しかし、そうすることによって「内と外」概念も強まってしまい、「我々」と「彼ら」とのあいだの溝がなくなるどころが、深まっていくばかりである。
差別は無意識的なレベルで働いていることが多いため、内面化した固定概念を積極的に問題にしない限り、日常生活に潜んでいる差別に気づかないことが多い。これまで当たり前だと考えていたものに対して疑問を投げかけるようになると自分の中にあった壁が次から次へと崩れていき、新たな意識で「日本人である自分」と「日本人ではない他人」に接することになるのではないだろうか。
- (グアリーニ・レティツィア)南イタリア出身で、2011年から日本に滞在。ナポリ東洋大学院で日本文化を勉強してから日本の大学院に入学。現在、博士後期課程で日本現代文学とジェンダーを研究しながら、Webライターとして海外旅行、異文化、難民などについて執筆。
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記事提供:ニュースフィア