まだスマホなどを持っていない小学生でも、夏休み中のいじめの被害は存在する。
小学校4年生の女の子の事案では、家への訪問と外遊びでのいじめが確認された。
この件では、被害女児が遊びから帰ってきた時の様子の変化や体臭を異常に気にするようになったという変化があり、保護者はいじめを疑っていたのだが、学校で配布された教育相談に電話で相談しても、”そういう時期だから気にするな””本人がいじめを報告しなければ何もできない””親が神経質になりすぎだ”と説教される始末で、結果的にネットで調べて、私のところに相談があった。
夏休みにおいては、よくある事例であるため、私は女児の性格などを相談保護者からよく聞いて、直接話を聞くことにした。
相手は、被害保護者の認識では、親友とも言えるクラスメイトであった。一緒に写っている写真などは確かに仲が良さそうに写っているのだが、実は小学2年生の頃から、暴言や強要の被害を受けていたことを被害女児は告白した。
その様子を調査として確認すると、加害女児は必ず9時台に、被害女児の家に訪問していた。
それから、お昼をはさんで(お昼になるとそれぞれの子が自宅に引き上げ、公園などに集合する。)午後3時頃まで、外で遊ぶのだが、被害女児は常にカバンを持たされていたり、「臭い」「ブス」などと暴言を吐かれ、「ゴリラ」のモノマネを強要されていた。
この件については、被害女児の保護者から加害女児の保護者へ連絡をして、今すぐやめるように促すことが、ポイントであった。
加害保護者は、「子どものしていることだから、子どもが判断すればよく、親はノコノコ首をつっこむな」という姿勢であった。
この考えは、加害保護者の多くから聞くことができる。
ただ、こと「いじめ」については、この意見は加害者を助長させるガソリンにしかならないのである。
これが平等で力の均衡が見られる友人間のトラブルであれば、親が手取り足取り出る幕はない。
ところが、一方が圧倒的に強く、一方が極めて非力という状態の中では、子供の判断は残酷で、不平等なものとなるのは当然のことなのだ。
だから、過去の保護者や教員などは、仲裁に強くは入らずも、話し合いを合いの手などでコントロールし、ヒントを与えながら、適切な答えを出せるように導いたのである。
ただ、このような「こども任せ」主義の親の意見的背景には、「我が子さえよければそれでいい」という考えがあり我が子が不利な場合は、ノコノコ首をつっこむのである。
このケースにおいても、加害者側の保護者は、やめるように促すということはしなかった。
よって、被害女児と保護者は、もう遊ばないという決断をして、それを加害女児と保護者に話した。
この対応に強く抗議したのは、加害保護者であった。
加害保護者の父親が理由も分からず、我が子が意地悪をされていると勘違いして、ゴルフアイアンを手にして抗議をしに来た。結果、警察が仲裁に入ることになったが、いじめが問題の発端で、互いに保護者であるということがわかると引き上げてしまった。
ただ、他に一緒に遊んでいたクラスメイトは全員、保護者の指導もあり、謝罪の手紙や直接の謝罪があった。
特に、そうした状況であったことに気がつけなかったことを悔やむ内容が多く見受けられた。
中には、いじめかもと思いつつ、直接自分がしているのでは無いのだから、”まっいいか”と思ってしまったという告白もあった。
被害者から見れば、傍観者も加害者と同じ人種に見えるものだ。
また、夏休みでも教員は出勤していることから、担任教師を含め各公立校には設置されているいじめ予防対策委員会に事実として報告し、新学期からは最大限の配慮をするように話をつけた。
この学校では、校長を筆頭とする委員会で議題として取り上げ、夏休み明けから、積極的にいじめ予防に取り組むことが決定されたということであった。
担任曰く、加害女児の父親は性格が激しく、モンスターペアレンツだとの認識だということだった。
「夏休み」というのは、学生時代にとって最大のイベントとも言える。しかし、多くの問題行動も夏休みを機に激化しており、青少年が被害者となる、加害者となる事件も起きやすい時期でもある。
ここでは、私が専門的に対応するいじめについて書いたがいじめについても、最悪の事態を招かないためにも、保護者や親、地域住民は、よく子どもを観察して対応する必要が迫られている。