NHK大河ドラマ『真田丸』を放送直後にワンポイント解説する人気連載シリーズ。今回は「戦国時代の築城」について。以前「真田丸『第19話』解説。なぜ天下人の秀吉に5つも城が必要だったのか?」でも紹介したように、秀吉は次々に5つもの城を建てましたが、不要になればあっさり壊していました。これは秀吉が周囲に権力を見せつけるためだったのでしょうか?著者の西股総生さんはちょっと異なる見解を示しています。
今回のワンポイント解説(7月17日)
ワンポイント解説の19回(5月15日号)で、秀吉の城郭政策について説明した。戦略的状況に応じて、必要な場所に必要な機能をもった軍事施設を造るのが戦国時代における築城。秀吉もこの原理にのっとって、自分が置かれた状況に対応するために、次々と城を築いていった、というお話し。
さらに、天正20年(文禄元年 1592)からは伏見城の建設にとりかかる。この伏見城は、のちに桃山御陵になった伏見城(木幡山)とは別の場所であり、指月伏見城と呼ばれている。指月伏見城はもともと、関白職を秀次に譲ったのちの隠居所として築かれたものだ。指月を選んだのも、風光明媚な地だったから。
もっとも、関白職を秀次に譲ったとはいえ、全国の大名を実力で切り従える武家の棟梁が秀吉である、という事実は変わらないわけで、秀吉はこの立場をもって朝鮮・明の征服に乗り出そうとした。つまり、日本の支配者(関白)という本社の社長ポストを秀次に譲り、自身は豊臣グループの総帥としてグローバル化に乗りだそうとしたわけだ。ところが、秀頼の誕生によって、このマスタープランが狂ってしまう。仮に、関白を秀次→秀頼とバトンタッチするコースを決めておいたとしても、秀頼が成人する頃には自分はこの世にいない。となれば、秀次の子と秀頼との間で権力闘争が起きてしまう。そうした事態を怖れて、秀吉は秀次の粛清に踏みきったのであろう。
こうして秀次がいなくなると、関白の公邸である聚楽第も不要になる。むしろ、聚楽第の周辺にあった大名屋敷などを、伏見に移転させたほうがよい。粛清のあとには権力の集中が必要になるからだ。そこで、聚楽第は破却されることになる。
このように整理してくると、軍事政権の戦略上の必要から城が築かれ、必要がなくなれば廃棄される、という「戦国の城は使い捨て」の原理が、ちゃんと生きていることがわかる。けれども、戦略上の選択というセオリーが理解できないと、秀吉が次々に城を築いたり壊したりしていった理由も理解できない。そこで、やれ権威・権力を見せつけるために築いただの、秀次の記憶を抹殺するために聚楽第を破壊しただの、といった説明が必要になってしまうわけだ。その手の説明って、分析すべき事をきちんと分析していないだけじゃないか?って、僕は思うけどね。(西股総生)
《今週のワンポイントイラスト》
豪華絢爛を誇った聚楽第も、戦略上必要なくなった途端、容赦なく破却!(みかめ)
文・絵/TEAM ナワバリング(西股総生・みかめゆきよみ)
ナワバリスト(城郭研究家)の西股総生率いる、お城(主に山の城)と縄張りを愛する3人組
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今週の『真田丸』SNS反応【編集部まとめ】
秀次様の表情の変化が凄かった。娘からの差し入れ、聖母・イエスの絵はキリシタンとして「自害しないで」の願い。それを見たときの笑みから信幸との会話、「絵を長持へ」という声。虚空を見上げ涙の顔、そして息絶えた後の…今日の録画は、辛いのに繰り返し観てしまうものになりそう。#真田丸
— ぬえ (@yosinotennin) 2016年7月17日
#真田丸 秀次事件、非常に濃厚な内容でしたが、秀次が死を選ぶほどまで追い込まれていたのか?という疑問は持ってしまいますね。ただ三谷さんが描きたかったのはそこではなく、「すれ違い、思いの交わらなさの悲劇」でもあったのでしょう。それを表現するための『勝手に自害説」採用なのでしょうね
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2016年7月17日
太閤と関白という、ほとんど天上人同士の諍いだけど、こうやって人間同士の付き合いでどうしても生じてしまうすれ違いみたいなものをしっかり描くと、誰にでも伝わるものになるんだなと。 #真田丸
— tadataru (@tadataru) 2016年7月17日
関白元気そうでよかった#真田丸 pic.twitter.com/4UfPQJfKJk
— 社畜のヨーダ (@katou443) 2016年7月17日
秀吉がすごい怖い。
秀吉は、秀次を追い詰めている自覚がない。この段階になっても。
秀次が、秀吉の意思に反して死んだことで、秀吉は心遣いを無碍にしたと怒って、遺った秀次の妻子をまとめて処刑した。それも自ら指揮して。それなのに、秀次の死に本気で泣いてる。この振れ幅が怖い。 #真田丸— フラワードクトリン (@flowerdoctrine) 2016年7月17日
もうこれ作るしかなかった。#真田丸 pic.twitter.com/x5pocepDAG
— an_shida (@an_shida) 2016年7月17日
三成役・山本耕史さんは、三谷さんからの「三成が本当に豊臣家を守っていこうと思ったのは秀吉が亡くなってから」というアドバイスを受け、
「(三成は)秀吉が生きている間は殿下の無茶を実現するのが全てだった」と仰ってます。
三成公好きには頷けますね(`;ω;´)#真田丸— 歴ドル・小栗さくら@さくらゆき (@oguri_sakura) 2016年7月17日
豊臣秀次の子供は殆ど処刑されたが、一ノ台の娘で、後に信繁に嫁いだドラマ名「たか」と、後に梅小路家に嫁ぐ姉と、小督局の娘お菊の三人が助かったと伝えられる。理由はドラマでは大きな娘だが実際は赤子だったためという。実際に信繁の嫁になるのは約十年先の九度山時代。#真田丸
— 一二三 (@nunonofuku123) 2016年7月17日
話がこじれても直接の対話でわだかまりを解く真田兄弟。これが秀吉と秀次には… #真田丸
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2016年7月17日
この人は特段サイコロに振り回されがちですからね…#真田丸 #真田丸どうでしょう pic.twitter.com/kE2ICkMEgM
— 名前はまだ決まらない (@namaehamada_nai) 2016年7月17日
信繁「お義父さん娘さんをください!!」 大谷「いいでしょう」 #真田丸 #真田丸どうでしょう pic.twitter.com/wCNdQ3r845
— タカヤマ (@takayama1059) 2016年7月17日
三谷作品の凄いところは登場する複数の人物の心情や言動が思いもかけず繋がったり補完したり累乗効果を見せてあっと驚く大団円に着陸するところ。で、今回の豊臣家の悲劇はそれを逆手にとってあっと驚くバッドエンド到達だよ。誰かなんとかしてくれよこの才能のカタマリみたいな脚本家。 #真田丸
— rose (@Lazyrose_1999) 2016年7月17日