いまだ出口が見えず混乱が続くギリシャの債務危機問題。この件を巡ってはギリシャの放漫財政を責めるかのような報道ばかりが見られますが、はたして真実はどうなのでしょうか。『未来を見る! 「ヤスの備忘録」連動メルマガ』に、驚くべき真相が記されています。
EUの真実、ドイツ帝国の拡大
ユーロが導入された2002年には強く意識されなかったが、高い労働生産性と最強の競争力をもつドイツが、生産性が低く競争力の弱いギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの南ヨーロッパの国々と同じ通貨を使うとどういうことになるのか、結果は目に見えていた。もし、経済の強い国と弱い国がそれぞれ異なった通貨を使っているならば、強い国の通貨は上昇し、弱い国の通貨は下落する。この状況は経済の強い国の輸出を抑制し、弱い国の輸出を促進する方向に作用する。
また、国内の通貨の流通量を増加させてインフレにし、通貨の価値を引き下げることで、経済の弱い国は自国の輸出に有利な環境を政策的に作ることができる。
だが、強い国も弱い国もユーロという共通通貨を用い、通貨の発行権を「欧州中央銀行(ECB)」が管理した状況では、こうした通貨価値による調整は不可能になる。よほどの構造改革でもしない限り、弱い国の経済は一層弱くなり、強い国の市場や労働力の供給地になってしまう。そして強い国は、弱い国を自国の経済にもっとも有利な方向で吸収する。
もともと1992年に結成された拡大EUは、東ヨーロッパの社会主義圏の崩壊で開放された膨大な安い労働力を使い、EU全体を発展させる構想だった。ユーロ圏が導入された2002年当時、東ヨーロッパの安い移民労働力はヨーロッパ各国に流入し、高い経済成長を支えた。そのため、共通通貨のユーロが内包する本質的な不均衡は顕在化することはなかった。
しかし、時間が経つにつれ、ユーロ圏に本来的に内在していたこの不均衡が前面に出るようになった。金融危機をいち早く乗り越えたドイツは、ドイツ経済を中心にほかの国々を編成する方向に動いた。もはやユーロ圏は平等でフラットな秩序ではなく、最強のドイツ経済を中心とした階層秩序へと変質した。PIIGS諸国などの南ヨーロッパの国々は、安い労働力の供給地や、ドイツ製品の市場になった。
そして、この階層構造を支えたのが、PIIGS諸国による国債の乱発であった。経済の弱いPIIGS諸国は、比較的に早い時期に財政難に陥った。これを補填するため、国債の発行で市場から資金を得るシステムを整備した。金融危機以前は、国債の過剰発行によって潤沢な資金を簡単に得ることができた。そのため、PIIGS諸国が一方的な市場としてドイツ経済に吸収された状態にあったとしても、この事実が国内の経済停滞として表面化することはなかった。
だが、2008年の金融危機、さらには2010年のPIIGS危機で国債の過剰発行に依存したシステムは破綻したため、結局経済の弱い南ヨーロッパの国々は、最強のドイツ企業に一方的に市場化される存在でしかないという苛酷な現実であった。