哲学的な話ではありません。
国民の大半が幸せと答えて話題となったブータン。経済的に日本よりはるかに貧しいこの国の幸福度が高く、GDP世界三位の日本から幸福感を感じることは少ない。
日本人にとっての幸せとはなんなんだろう?幸せってどうやって測るの?幸せってなんだっけ?FacebookなどSNSで「いいね」を貰うことが本当の幸せなのか?
そんな時、日本で学問として「幸福」を研究対象としている人が、京都学園大学にいることを知った。
学問で幸福?と疑問を持ちつつ、この人なら答えがあるのではと京都へ向かった。
幸福学を研究しているという袖川芳之教授。
その経歴は、京都大学法学部を卒業後、大手広告代理店の電通に就職し、大蔵省の社団法人でアジア・太平洋の経済研究を行っている研究情報基金へ出向。そこで竹中平蔵氏と出会い、小泉政権下で竹中氏が大臣に任命された際、内閣府の官僚として郵政民営化や構造改革のPR・マーケティングを担当した。
現代のFacebookやInstagramなどが流行した背景に、行動するための動機をもらって、他人から承認してもらうという、欲望のダブルチェックが存在すると、京都学園大学にて幸福の研究を行っている袖川教授は言う。
そんな袖川教授が、なぜ幸せの研究を始めたのか、幸せとはなんなのかをインタビューしてきた。
幸福の研究は社会の問題点をみつけ、よりよい社会のデザインを提供する研究
──華々しい経歴をお持ちの袖川教授は、なぜ幸せの研究を始めたのでしょうか。
袖川教授(以下・袖川):2006年頃、世界で幸福の研究がブームになっており、その動きをOECDが先導していました。OECDの対応官庁が内閣府で、内閣府内で誰か研究をしないか、という時に電通から赴任していた私をご指名いただいて、幸福の研究を始めました。
──そもそも、幸福の研究とはなんなのでしょうか。
袖川:幸福というと胡散臭いイメージを持つかもしれませんが、これからの社会の切実な問題を解決するのに役立つ研究なのです。
例えば、京都の幸福度調査を行ったことがありますが、その際わかったことは、シニア世代の幸福感は総じて高いのに対して、子どもを持つ主婦層と20代の男性は低かった。主婦層からの不満は、子育てをするための環境が整っていないこと。20代の男性は、どこに勤めても給料が低いこと。つまり京都は、満足度の高いシニア層が京都の魅力を支えている一方で、若年層と子育て世帯への対応が今後の課題となることがわかったわけです。
世界的に幸せの研究が切実な問題として捉えられているのは、どの国でも政府が経済を成長させるだけでは選挙の票がとれなくなったことです。経済成長以外に何をやったら国民が満足するかわからなくなった。そこで、国民が今、何を求めているのかを知るための指標として幸福指標を作成しようとしているのです。
現代は幸せのハードルが上がり、欲望のダブルチェックが必要に
──社会の根本的な問題点を探り、改善策を練るというのが幸福の研究なんですね。それでは、現代のSNS問題はどう見ていらっしゃいますか。
袖川:現代では、何か欲しいという気持ちはみんな持っているのですが、何が欲しいのかということは自分ではわからず、誰かに決めてもらわないと自分でも消費の対象を見つけられない。だから旅番組で紹介されたお店やヒット商品のランキングなどに注目し、欲しいものを見つけようとしているのです。
例えばテレビ番組でパンケーキの美味しい店が紹介され、実際に食べに行ってみると実に美味しかったし、感動もした。けれど、本当にこのパンケーキに支払った金額に見合う価値があったのかどうか、と自分の中で喜びを昇華しきれないんです。そこで、写真を撮ってSNSにあげて「いいね」と言われて、はじめて自分の消費は正しかったのだと納得する。そういう構造ができています。
本来、消費は自分の内部の欠乏感や欲望を満たすために行うものですが、今の消費者は行動するための動機を外部からもらって対象が明確になり、さらに消費の結果を他人から承認してもらうという、2段階の外部評価が必要となっているのです。
──なるほど! ところで、何か欲しいという気持ちについてですが、今どきの若者はものを欲しがらないと言われていますが。
袖川:脳は常に新しい情報を欲しているのです。そして、新しい情報を手に入れる一番簡単な方法が何かを消費することなのです。しかし現代では、モノも体験もすでに体験済みのことばかりになり、消費は脳が求めている新しい何かを提供できなくなっている。そこで、「これがいいよ。これをやればいいよ」という提案が外部からされると、実際にやってみようという意思が生まれ、その消費の結果を承認されるという2段階の承認を経て、消費の満足感が完結するのです。
──それは昔はそうではなかったと。
袖川:1950年代の三種の神器、1960年台の3C(車、カラーテレビ、クーラー)などは顕著ですが、何を消費すれば幸せになれるかということが明らかでした。
そして1974年にオイルショックを迎えた頃に、主要な消費財は飽和化し、物を持てば幸せという意識が一段落します。が、その後、80年台に余暇レジャーブームが起きたので、バブルが終わるまでは、余暇・レジャーの未知の体験をして喜びを得ることができました。
若者が置かれている状況は想像以上に深刻
──現代ではモノは揃っているし、体験も一通り済んでいる。ネットを見れば大抵のことがわかってしまいますし。現代の若者はこういう状況におかれているんですね。
袖川:そうです。幸せになるハードルが上がっているんですよ。
今、こうして幸福がブームになっているのも、今が幸福について考えなければならないほど不幸感を抱いている時代だからです。
大学で、高度経済成長期のことやバブル期のことを客観的に提示して、「どの世代がいいですか」と何人かの学生に訊いてみると、半分くらいの学生が上の世代がうらやましいと言います。
けれども、努力して物質的な豊かさを追いたいとは思わないし、仲間と一緒にいるほうが楽だし、このままでも幸せでいられる。そんな若者像を示した言葉が「マイルドヤンキー」で、狭い地域・狭いコミュニティで結構楽しく暮らしています。
──狭い地域で、狭いコミュニティですか……。
袖川:LINEが流行っているのがいい例だと思いますよ。知っている仲間同士なので気楽、だけど相談など深い話をする間柄でもないつながりです。傷つけないし傷つけられないちょうどいい距離感がLINEの人間関係なのです。それに既読もつくので、会話のやりとりがなくても相手に見られているという安心感も得られます。
今の自分に何があれば、より幸せになれるかと学生に尋ねたこともありますが、「真に語れる友達が欲しい」という声が多かったのです。
そういう友達が欲しいんだけど、持つと面倒くさそうなので、とりあえずLINEの距離感でよしとしています。自分の領域までは入ってこないし、相談を聞くほどの仲ではない、その距離感をみんなが守っている。LINEの友達はいざというときに頼りになりますかと学生に尋ねると、「自分の問題を相談されたら友達が困るから相談しない」と言うんですよ。これは人間関係が狭いことに加えて浅くもなってしまっている。
──それはなかなか深刻な問題ですね。では、それを改善するためにはどうしたらいいのでしょうか。
袖川:国がビジョンとして、何が幸せなのかを指標化し、方向付けすることができたらいいとは思いますが、大戦中に国が幸福感を押し付けて若い世代を死に追いやったことへの反省が根強く、日本だけでなく欧米でも、個人の心の自由の領域に国家が口を出すべきでないという意見が強くあります。
だからこそ、何が幸せなのかを大学生の時期に学んで、理解して、自分の頭で自分の幸福のカタチを描くことができる能力を身に着けてほしいのです。
自分の幸福が何なのかを意識しないまま歳をとれば、待っているのは退屈と無気力と無力感。私は幸福の反対は不幸ではなく、この3つが幸福の反対概念だと思っています。
幸福を学び、自分だけでは気づけない「気づき」を学ぶ大切さ
幸せは時代とともに変化していく。お金を消費して喜びを得られた時代が終わった現代では、幸せのかたちがより複雑になっているということがわかった。
そんな複雑な時代だからこそ「幸せ」という言葉がフューチャーされることが多くなっており、学ぶ必要が出てきたのは間違いないだろう。
京都学園大学では、袖川教授の講義の他にも、大学としての教育目標に「学生満足度100%」を掲げ、「世界的視野で主体的に考え行動する人材の育成」を教育目的としている。
社会に出たら仕事に忙殺され、自分を見返すことはなかなか難しい。だからこそ、大学時代に課題発見力や論理的思考など、「今、自分は何がしたいのか、それを実現するために今、何をする必要があるのか」という、真に社会で求められる力を養っておくことが、これからの教育では必要となってくるのではないだろうか。
歴史と伝統の息づく京都の地で感性を磨き、社会で活躍するための力を養う。めくるめく自分を取り巻く環境が変わる現代だからこそ、大学の4年間を京都で過ごすことを選択肢のひとつに据えるのもいいだろう。