戦場ジャーナリストからプロのバグパイプ奏者へに転じたという、異色の経歴を持つ「カトケン」こと加藤健二郎さん。彼によると、激しい戦場で生死を分けるのは、“音感”の有無なんだとか。その真意を自身のメルマガ『異種会議:戦争からバグパイプ~ギャルまで』で大いに語っています。
砲撃戦は命懸けのオーケストラ
学校教師や外国人留学生などを含む場での話にて。
カトケンが、戦場野郎から楽器奏者に転向したことについて、教師氏は、「戦場から楽器へ」の軸に、音感を直感したという。そして、一気に音感の話になった。
カトケンはド近眼で視力がダメだったぶんなのか、音感には妙に敏感なところがあった。それが顕著に表れたのが、戦闘地域での砲撃戦である。砲弾が空気を切り裂いて飛ぶ唸り音から、砲弾までの距離、飛ぶ方向の判別などは普通にできたが、現場の兵士たちにはどれほど説明しても、兵士たちは音をまったく識別できなかったのだ。飛んでくる砲弾の着弾位置を私が推測して「次は右奥」「これははるか後方」「次のは軸線ズレてる」と当ててみせても兵士たちは「お前は超能力者か」と本気にしてくれなかった。
ただし、これは相対音感なので「まず一発目はこういう音」という基準がないと難しい。過去の別の戦場の音感を基準にするとかえって危険な判断をしてまう。飛翔音は、使用兵器や、気温湿度ばかりでなく、周辺地形や地質、市街地との関係でもかなり違うからだ。122ミリロケット砲弾の音をロケット弾音の基準だと認識していると、152ミリロケット弾の飛翔音は、ジェット戦闘機の音に聴こえるほど大きく違う。だから、もしかすると絶対音感者の音楽家は戦場向きではないかもしれない。
戦場で砲撃戦が始まると、塹壕や建物からむやみに出れないのでやることがなくなりヒマになる。しかし、カトケンは、頭上でクロスする飛翔音の大音響を好きだった。不協和音の変化を聴きながら、音の長さを時計で測定してメモり楽しめる。撃っている側も撃たれている側も「命懸けのオーケストラ」という表現は何度もつかったことあるが、音を奏でている側も聴いている側も命懸けだ。ひとつひとつの音に命が懸っている。二度と同じメロディーもハーモニーもない。
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