『どついたるねん』『顔』『KT』の阪本順治監督の最新作『団地』が6月4日より公開。昭和の集合住宅「団地」を舞台に、日本を代表する舞台女優・藤山直美さんが主演を務めます。これはMAG2 NEWS世代にも直撃!ということで、早速、阪本監督を直撃取材してきました。
阪本順治×藤山直美が16年ぶりの再タッグ
その映画はいまも、“傑作”として語り継がれている。
2000年に公開された本作は数多くの映画賞を総なめにしたが、
――映画での藤山直美さんとの再タッグ、本当に嬉しいです!
阪本順治氏(以下阪本):今回は、あの多忙な藤山さんのスケジュールが「2週間ほど空く」と聞きつけ、企画をにわかに立ち上げ、一気に自分でオリジナル脚本を書き上げたんですよ。16年前の『顔』という映画はオファーから撮影まで3年半かかり、“最初で最後”のつもりで取り組んで、持てる力を出し切りました。なので、『顔』の延長線上にはもう何もなくて。さて何を藤山さんとやろうかと頭をひねっていたら、ふとラストシーンを含め「大阪の団地」を舞台にした物語が浮かんできて、そこに長年僕を捉えて離さない根源的な問いを取り入れようと思いついた。つまりそれは「人は亡くなったらどこに行くのか」ということ。僕の実家は仏壇屋で、子供時分から“死”が身近にあり、何かと考える機会が多かったんですね。さらに「この宇宙の中で人はどう生かされているのだろう」「われわれの体はなぜ電力もないのに動いているのか」といった、同じく昔からずーっと抱いてきた疑問を掘り起こし、物語の中に組み込んでみました。人間って、幼少期や思春期の頃の記憶をいつまでも引きずっているものなんですよね。
――結果、人情味たっぷりの奇想天外な映画になったわけですが、藤山さんに台本を見せたときのリアクションはいかがでしたか?
阪本:たいそう呆れられていましたね(笑)。それでも出演を快諾してくださって、すぐに岸部一徳さん、石橋蓮司さん、大楠道代さんに電話をかけたんです。「藤山さんの主演映画をやりますのでスケジュールを空けておいていただけませんか」と。そうしたら皆さん、台本を読まずに決めてくれて、蓮司さんなんか「どうせ何か企んでるんだろ、お前の企みには無条件で乗るよ」って。なんていい方たちなんだろうと感激して、いざ台本を渡し、読んでもらったら「阪本、頭大丈夫か?」と言われましたよ、蓮司さんに(笑)。
――でもそういった反応は、監督としては折り込み済みだったのでは。
阪本:まあそうですね。「団地」と「意外な世界観」との取り合わせで新鮮な違和感を生もうと試みたんです。皆さん、昭和の空気を呼吸されてきた方々で、とりわけ僕と藤山さんは同い年。大阪万博の頃、近所にニュータウン、巨大団地が建ち始めたのを鮮明に覚えています。
――実際に団地にお住まいになられたことはありますか?
阪本:ないです。でも友人たちは住んでいたし、泊めてもらったこともあります。子供ながらに「これ、家族4人で暮らすには狭いよなあ」と感じながら、初めてのシステムキッチンをもの珍しそうに眺めていました。
16年経ってもまったくブレない藤山直美のプロ魂
――藤山さんは劇中、大女優のオーラを消し去り、大阪近郊の古ぼけた団地に引っ越してきたごく普通の主婦・ヒナ子を見事に体現されていましたね。
阪本:ヒナ子は、普通の主婦だけども哀しい過去を隠し持っている。このポイントを常に意識しながら、藤山さんは確かなリアリティを付与して演じてくださいました。その存在感は当然とはいえ、全編圧倒的でしたね。
――藤山さん、分からないことは率直に阪本監督に質問されるそうで。
阪本:ええ。舞台の芝居と一番違うのは、映画は時間軸をバラバラに撮るので、「役の感情が前のシーンと繋がっているか掴みにくい」と藤山さん、よくおっしゃっていました。『顔』のときは泣く場面で、「吸う息で泣くんですか、吐く息で泣くんですか?」と訊かれ、「吸う息ですかね」と答えながら、明確な自信がなかった(笑)。とても繊細な演技をされる方なんですよね。今回も郵便受けの前で佇み、フレームアウトするシーンで「右足からですか?」って。そんなこと他の俳優さんには訊かれません。驚くべきは藤山さんは16年経っても映画に向き合う姿勢が全く変わっていなくて。あれだけの人気、集客力のある日本一の舞台役者なんですが、ステージ上での自分のやり方を映画の現場には絶対に持ち込まないんです。あくまで映画の流儀に合わせようとし、全てをスタッフに委ね預け、畏敬の念とともに現場入りしてくれる。それが彼女のすごいところだと思います。
――ヒナ子の夫・清治役は岸部さん。家業を漢方薬局にされた理由は?
阪本:「岸部さんならば漢方薬局の店主が似合うかな」と何となく(笑)。それと僕は現在、漢方のお世話になっているんです。漢方は古来中国から伝わったもので、老舗のお店を考えたとき、自分が使っている漢方が浮かびました。
時代に取り残された昭和な空間、それが「団地」
――映画では床下の収納庫が、劇的な空間として登場していましたが、あれはもとから備わっていたんですか。
阪本:室内自体、セットを組みました。「3階の団地の設定で床下などない」と言う人もいましたが、僕が子供の頃に行った団地にはあったんですよ。ぬか漬けとかを置いておく冷暗所が。岸部さんが入れるほど大きくはなかったですけれども。
――ある事件をきっかけに、ヘソを曲げた清治……岸部さんが「死んだことにしてくれ」とそのスペースに潜って隠れてしまう。まさかの展開が可笑しいですね。
阪本:床下を、一種の小宇宙と捉えてみました。
――本作のキャッチコピーは、「【DANCHI】なんでもありえる昭和の集合住宅。ウワサが転がる小宇宙。」ですが、阪本監督にとっては団地が星雲、惑星の集合体のようなイメージがあったのでしょうか?
阪本:どこか時代に取り残された“昭和な空間”で、ひとつのコミューンを構成しているな、というのはありました。やっぱり今時のオートロックのマンション群とは違いますよね。
――団地が長屋に見え、一種落語的な世界も感じたのですが。
阪本:それはあるかもしれないですね。団地って、階段で縦に繋がる長屋なんですよ。両側にドアがあり、お隣さんではなくお向かいさん。密接しつつプライベート空間で、閉じたドアのその奥を想像したくなる。噂話というのは大阪では、団地内だけでなく人が密集した場所ではどこにでもあり得ることでして。大阪の地べたの話と、それとはかけ離れた天上、形而上の話も描き、両者を繋ぐ場所としてマンションや住宅地ではなく、昭和の面影を残す古ぼけた団地のビジュアルが一番面白いと閃いたんです。
50代の転機
――漢方薬局みたいに、他にもご自分の体験が反映されている箇所はございますか?
阪本:床下に隠れる清治は僕ですね。実は脚本の初期は床下ではなく、押し入れの屋根裏にしていて、昇り降りに時間がかかると思って変えたんです。中学生までよく、仏壇屋の店舗の屋根裏に隠れてましてね(笑)。コウモリが飛んでくる中、蝋燭を立てて本を読んでいました。最後の一行で常識や日常を引っ繰り返す星新一さんや筒井康隆さんの作品、アーサー・C・クラーク、フィリップ・K・ディックなどのSF小説を読むには最適な環境で、目の前の現実より空想や妄想のほうにリアリティを感じる時期ってあるじゃないですか。もちろん年齢が上がるにつれてだんだんと、現実と対峙せねばならなくなるわけですけれど。
――その現実と向き合っていく中で、転機となる出来事がたくさんあったと思うのですが、50代に入ってからはいかがですか?
阪本:ここ最近で言えば昨年、90年続いた実家の仏壇屋をたたんだことかな。両親の具合が悪くなって入院することになり、しばらく実家に戻って社会勉強を改めてたくさんさせてもらいました。この映画で主人公夫婦が家業の漢方薬局を閉めるのは、その体験から来ています。オリジナル企画で映画をやるってことは、身近にあるものを拾い集め、表現へと変える作業なんですよね。この1年間の自分をさらけだしたと思います。でも観終わった後は、藤山さんと岸部さんが演じる中年夫婦を通じ、お客さんひとりひとりの“別の物語”が生まれる。今回はそんな映画を作った気がします。
文/轟 夕起夫
information
阪本順治(Junji Sakamoto)
1958年生まれ、大阪府出身。1989年に赤井英和主演の『どついたるねん』で監督デビューし、ブルーリボン賞最優秀作品賞ほか、数々の映画賞を受賞。2000年には藤山直美主演の『顔』が各界で絶賛され、日本アカデミー賞最優秀監督賞などを受賞。その後も人間ドラマから社会派ドラマほか、幅広いテーマの作品で邦画界に常に驚きを与えてきた。その他の代表作に『KT』『亡国のイージス』『闇の子供たち』『座頭市 THE LAST』『北のカナリアたち』『人類資金』などがある。
団地
6月4日(土)、有楽町スバル座、新宿シネマカリテ他、全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
どうせ僕は人望ないんや、もう団地から消えるんやーー。大阪近郊にある、昭和感満載の団地にやってきたヒナ子・清治夫妻。ウワサ好きの住民が集うこのコミュニティに嫌気がさした清治は、ある日突然、「僕は死んだことにしてくれ」と言って床下に隠れてしまい……。「団地」住民たちが持つどこか近寄りがたくて、でもアットホームな空気感で展開される人情喜劇、いや悲劇?
(C)2016「団地」製作委員会