「墓はなくても坊主は呼びたい」 日本人の心理

2016.04.04
by Mocosuku
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「Amazon.comでお坊さんが呼べる」という坊主便が話題になっています。

今やネット通販で本や家電だけでなく生鮮食品も購入できる時代です。ネットはどこまで便利になるのだろう…と思っていたら、ついに「お坊さんを呼ぶ」というところまで来てしまいました。

大きな反響を呼んだ「お坊さん便」

もちろん、このサービスには批判もあります。特に価格を表示してしまうことで「宗教」が「商品化」してしまう問題が取り上げられています。全国の寺院が加盟する公益財団法人・全日本仏教会はこの問題を大きく捉えてAmazonに中止を申し入れているそうです。

しかし、お坊さん便には別の意味を見出すこともできます。もし、サービスとして成立しなかったら、そもそもAmazonも扱わなかったでしょう。扱ったとしても話題にすらならなかったでしょう。

お坊さん便ユーザーの心理を代弁すれば、
「お坊さんは呼びたい。でもお願いするのにも気分的なハードルが高い。お布施もいくらかわからなくて不安!」となるのではないでしょうか。

逆に言えば日本人にはそれだけ「法要にはちゃんとお坊さんを呼びたい!」という気持ちがしっかりと根付いていると言えるのかもしれません。

現在の日本では「お墓難民」という言葉があるくらい、お墓にも事欠くような状況です。

そのような状況の中でも「お坊さんはちゃんとお呼びしたい!」という気持ちになるのは一体なぜなのでしょうか。

日本人は信心深い?

「日本人は信心深いから…」というのはちょっと違うかもしれません。

仏教は私達の生活にかなり深く根付いてはいますが、毎日念仏を唱える人はどちらかと言えば少数派です。

渡航して海外の方々と交わると、お互いに失礼がないようにお互いの宗教の確認が行われたりもします。そこで、堂々と「仏教徒です!」と宣言できる日本人は少ないでしょう。

私たちは正月には神道の信者になって八百万の神様にご利益を願い、その1週間前にはキリスト教のお祭りを全国的に祝うわけですから。
では、なぜ「お坊さんは、ちゃんと呼びたい」のでしょうか。

私はここには3つのマインドが関わっているのではないかと思います。

日本人ならではの3つのマインド

一つはご先祖になった親類への特別な思いです。

人は、子ども時代は無力です。100点満点ではなかったかもしれませんが、みんな祖父母にも両親にも、年長の親類にも良くしてもらって今があります。それを敬わないと何だか悪いことをしているような気持ちになるのではないでしょうか。

ふたつ目は日本人が陥りやすい「当たり前」の崩壊への不安です。

日本人の多くは遺伝的に「当たり前」のことが崩れることに不安を感じやすく作られています。「法要はお坊さんを呼ぶもの」という当たり前を自分の意志で崩してしまうと、何だか罰が当たりそうな気持ちになるのではないでしょうか。

そして三つ目は日本人の世間体です。

人類学者のルース・ベネディクトは日本研究書『菊と刀』の中で日本を「恥の文化」と表現しました。「ちゃんとお坊さんを呼んで法要をしないと恥ずかしい…」という気持ちも働いているのかもしれません。

お坊さん便にはさまざまな意見があります。ですが、このサービスに救われている人がいることも確かです。

どのような形がみんなの幸せに繋がるのかは模索が必要ですが、「日本人」であることに誇りを持って、「日本人である私たち」を生きていきたいですね。

執筆者:杉山 崇(心理学者)

 

<執筆者プロフィール>
杉山 崇
神奈川大学人間科学部/大学院人間科学研究科教授。心理相談センター所長、教育支援センター副所長。臨床心理士、一級キャリアコンサルティング技能士、公益社団法人日本心理学会代議員。
公式サイトはこちら

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