今年で友好150周年を迎える日本とベルギー。先日、首都ブリュッセルで起きた連続テロ事件で悲しみに包まれるベルギーの人たちに、私たちが力になれることはないのでしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、日本とベルギーが古くは大正時代から、お互いの苦難を何度も支え合って乗り越えた「絆」の歴史を紹介しています。
日本・ベルギー交流史
東京墨田区にある東京都復興記念館には、有島生馬が描いた1枚の絵が掲げられている。どす黒い煙が上がる暗い色調の中で傷ついた人々がうごめき、地面には多くの死体が横たわり、キャンバスの右脇には1台の車が停車。その側に双眼鏡を手にした山本権兵衛首相が描かれている。
この絵は言うまでもなく関東大震災を描いたものだが、山本首相の傍らに白い夏服を着た外国紳士と赤い服の小さな女の子が立っている。いったいこの2人は何者であろうか。有島生馬は誰を描いたのだろう。じつはこの疑問を解明していくとき、近代日本の知られざる横顔が見えてくる。
周知の通り、大正12年9月1日、関東一帯を襲ったマグニチュード7.9の巨大な地震は未曾有の被害をもたらした。とくに東京・横浜の被害は目を覆うばかりで、全壊したり焼失した家屋は約50万戸、死者・行方不明者は10万人を超え、その他の被災者は約240万人以上にものぼったという。この大震災の二ュースは世界各国に報道され、諸外国から援助の手が差し伸べられることになるが、群を抜く支援活動を見せたのがべルギーだった。
9月3日に報せを受けたべルギー本国では、5日には「日本人救済べルギー国内委員会」が結成されて活動を開始。上智大学教授の磯見辰典氏によれば、「音楽会、講演会、バザー、さらに『日本の日』が各地で催された。…新聞はもとより、カトリック教会もこのキャンぺーンに積極的に参加した。この活動の結果、約264万2,000フランを集めて日本に贈ったが、これはアメリカ、イギリスに次ぐ多額の援助金となった」(「文藝春秋」1997年4月)という。
このときべルギー国内で配布された「元兵士へ」(1923年)と題する日本への支援を訴えた文書を見ると、9年前の第1次世界大戦の際、ドイツ軍の侵略と戦うべルギー軍兵士に対して数々の援助を尽くしてくれた日本人への賛辞が述べられ、べルギーの元兵士はこのときの恩義を今こそ日本に返そうではないかという趣旨が書かれているのである。
これがべルギーが関東大震災に見舞われた日本に惜しみなく最大級の援助を施した歴史的背景にほかならない。ではわが国は第1次世界大戦中のべルギーにどのような支援をしていたのだろうか。