足利武士たちの無知と私利私欲
尊皇心、道義心に満ちた南朝方に対して、足利方の皇室軽視と謀略ぶりは鮮やかな対照をなしている。この違いのよって来る所を示す格好のエピソードがある。
足利方の土岐寄遠(とき・よりとお)という武士は、北朝初代天皇であった光厳上皇の行列に出会っても、馬を下りようとしなかった。上皇の先駆けの者が「光厳院がお通りになるのか分からないのか」と叱りつけると、土岐は「院だろうが犬だろうが、そんなこと知るものか、犬ならば射てみよう」と言って、院の輿(こし)に矢を射込ませた。
足利直義はさすがに驚き、土岐を死刑にした。これを聞いた武士たちは大いに恐れ入って、「上皇に出会ってさえ馬から下りなければならないのであれば、両御所(尊氏、直義)に出会ったときは地面に這いつくばらねばいけないのだろうか」とささやき合ったという。
(p 175)
上皇よりも尊氏などの方が偉いと思っている無知ぶりである。「神皇正統記」を戦いの合間に写しては読んだ南朝の武士たちとの違いは著しい。
南朝方と足利方の対照的な生き方を見ると、結局、足利方の武士たちは何ら学問をしていないために、人として信義の大切さも、皇室の伝統的な愛民精神も学ばずに、私利私欲のためだけに内紛、謀略、裏切りに明け暮れていたように思われる。
「精神の美しい輝き」と「私利私欲の紛乱」と
室町幕府は初代・尊氏以降、15代将軍・義昭が織田信長によって京都から追放された元亀4(1573)年まで240年ほども続くが、最初の約60年は南北朝の争いが続き、両朝合一後も各地で乱が絶えることなく、応仁元(1467)年に始まった応仁の乱以降は、全国各地で有力守護大名が戦い合う戦国時代が100年ほども続く。
皇室の愛民精神にも学ばず、道義のかけらもない私利私欲だけの権力者のもとで国が治まるはずもない。室町幕府が権力も権威も失い、戦乱の世が続いたのも当然であった。
「物語日本史」の著者・平泉澄博士は、南朝の活躍した吉野時代57年間と、その後、足利幕府支配の182年間を比較して、次のように述べている。
吉野時代は、苦しい時であり、悲しい時でありました。しかしその苦しみ、その悲しみの中に、精神の美しい輝きがありました。日本国の道義は、その苦難のうちに発揮せられ、やがて後代の感激を呼び起こすのでありました。これに反して室町の182年は、紛乱の連続であり、その紛乱は私利私欲より発したものであって、理想もなければ、道義も忘れ去られていたのでした。
(p 245)
歴史教育が単なる知識の詰め込みではなく、日本国民としての生き方を考えさせる場であるとするならば、生徒にはこういう指摘にも触れさせるべきだろう。
文責:伊勢雅臣
image by: Wikimedia Commons
『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3千人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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