政治家たるもの、世界の動きを常に観察して動くことは当たり前。しかし、それが度を超すとどうなるのでしょうか? 無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では、「国益」を無視して「世界益」や「人類益」を優先させる首脳のいる国は短期間でボロボロになっていることを指摘しています。
日本の貧困と世界の貧困、どっちをまず解決すべき???
読者さんから、こんな質問をいただきました。
前から北野さんにずっと聞きたいと思い気になっていたことがあります。
著書や先日の相模台脳神経外科の動画でもおっしゃっていたこと、日本が世界を救う、国家予算のうち数兆円で世界中の貧困による飢えを救えるといった趣旨のお話があったと思います。
その考えには同感です。そして質問です。
世界の貧困飢えを救うことと、日本の貧困問題を解決することとどちらを優先すべきか?
日本の自立は個人の自立から始まるように、世界の貧困を解決するならまずは日本国内の格差貧困を解決べきなのでは?
という質問です。
※ 読者さんのメール内にある「動画」はこちら。
● これが日本人の生きる道
「日本の貧困と世界の貧困、どちらを優先的に解決すべきか?」というご質問です。
義務と善行
まず、「日本の貧困も世界の貧困も、両方解決したらいい」というのが「大前提」ですね。しかし、質問は「どっちを優先すべきか?」です。「どっちを優先すべきか?」と聞かれれば、「もちろん『国内』の貧困問題」となるでしょう。なぜでしょうか?
堅苦しい話になりますが、「義務」と「善行」の違いについて考えてみましょう。goo辞書で「義務」を調べてみると、以下のようになっています。
- 人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め。
- 倫理学で、人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと。
- 法律によって人に課せられる拘束。法的義務はつねに権利に対応して存在する。
たとえば、小さいお子さんがいる読者さんも多いでしょう。自分の子供をしっかり食べさせるのは、親としての「義務」です。
一方、近所の子供を食べさせるのは、あなたの義務ではありません。しかし、近所の親がイイカゲンな人で、子供がお腹を空かせていた。その子供を食べさせるのは、義務ではなく、「善行」になります。goo辞書で「善行」を調べると、「よい行い。道徳にかなった行為」とあります。
「義務」と「善行」の関係はどうなっているのでしょうか? 例外的なケースはありますが、基本的に、「義務をしっかり果たし、その後、善行に励む」となります。もちろん、「両方やった方がいい」のですが。上の例でいえば、自分の子供をしっかり食べさせて、つまり義務をはたして、その後、近所の子供を食べさせる、つまり善行するという順番になります。
さて、質問は、「日本の貧困と世界の貧困、どちらを優先的に解決すべきか?」でした。ここでは「主語」が抜けていますが、主語は、「日本政府」となるでしょう。
「日本政府」の「義務」は、いろいろな言いかたがあるでしょうが、「『日本国民』が健康で、幸せで、豊かで、安全に暮らせるようにすること」でしょうか。つまり、「自国民の貧困問題を解決すること」は、日本政府の『義務』」である。外国の貧困問題を解決することは、外国政府の義務であって、日本政府の義務ではない。それでも外国の貧困問題解決をサポートする。それは義務ではなく、「善行」です。
もちろん、「できる範囲で」サポートした方がいい。しかし、「日本の貧困問題と世界の貧困問題、どっちを優先的に解決すべき?」と聞かれれば、当然「日本国内の貧困問題」となります(質問してくださった、読者さんも同じ結論でした)。