西洋列国による武力収奪「植民地時代」
武力に特化した西欧文明列国が、15世紀頃からその軍事力で世界の略奪を始めるまでの地球上は、それぞれの地域の特性に応じた自然と共生した部族社会、あるいは日本のように天皇や国王を中心とした分かち合いの国家が平和裡に併存していました。このような心豊かな国々では、闘争もなく、よって武力の必要が無く、人を殺傷する武器そのものが必要ありませんでした。
ただし、武士の勃興した日本だけが、西欧の膨張に対応するかのように、ヤマトごころを体現したサムライ達が官僚として国を経営するようになっていました。このお陰で大東亜戦争勃発時の時点で、地球上でまともな有色人種の独立国は日本しかなく、他はすべて白人たちの国家かその植民地だったのです。つまり、日本は有色人種の最後の希望の星としての役割が与えられていたとも言えます。私は、これも地球レベルの神様の絶妙な采配のような気がしてなりません。
さて、西洋列国による武力収奪で、世界の大半である有色人種地域は、西欧白人によって西回りと東回りで逐次占領、収奪・搾取されました。いわゆる植民地時代です。西欧人にとっては、有色人種は家畜以下の存在で、射撃の標的あるいは奴隷としての価値でしかなかったのです。約500年続いたこの悲惨な植民地主義が終焉(しゅうえん)を迎えたのは、第2次世界大戦からです。その植民地主義に幕を閉じさせたのが、実は日本だったのです。
比島における米国支配の背景
フィリピンは、アジアで初めて西欧の植民地になった国で、1529年、スペインとポルトガルとで植民地世界を分割する取り決め「サラゴサ条約」によって、一方的にスペインの植民地に編入されました。スペインの植民地時代には、フィリピンの人々は、何とかしてスペインの暴政から解放されようと独立運動を続けていましたが、その度スペインに弾圧され、力で屈服させられていました。
その後、1898年(明治30年)にアメリカとスペインによる米西戦争が勃発し、この戦争に勝ったアメリカが、以後フィリピンを植民地として支配することとなります。
この米西戦争もいわくつきです。スペインは植民地膨張の劈頭、西回りに世界を席巻しており、キューバも支配下においていました。そのキューバで独立運動が起こり、紛争から自国民を保護する名目で米国も駆逐艦「メイン号」をハバナ港に派遣しました。ところが謎の爆沈で乗員260名全員が死亡しました。これを米国メディアは、スペインの仕業と大々的に報道し、「リメンバーメイン」のかけ声のもと、米西戦争に勝利したのです。
この米西戦争で、米国はフィリピンの独立解放軍を支援すると約束して、占領していたスペイン軍と戦わせましたが、結局見殺しにしました。その経緯もあり、米国の植民地支配の当初は、アメリカ人は現地の人々の猛烈な抵抗にあい、アメリカ軍はその勢力を押さえ込むために数十万人規模の虐殺を行うなど、暴力で押さえ込んでいました。しかし、スペインの暴力的な植民地政策から学んだアメリカは、フィリピン人の独立心を上手くやりこめる融和政策を採るようになります。