今年も恒例行事のように報道された、成人式で暴れる新成人たち。しかし、メディアで全く取り上げなければ話題にもならないのではないでしょうか? 報道が過熱するにつれ、彼らの暴れ方も激しくなっているような感さえあります。現役教師の松尾英明さんは自身のメルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、暴れる若者について教師という視点から語り、昨今の報道の在り方について疑問を呈しています。
大荒れの成人式?
成人式で大暴れしたのが全国で何人かいたとニュースで報じられた。これを見て「全く近頃の若者はどうしようもない」となったら、哀しいことである。
今年の新成人の数は121万人という。つまり、かなりざっくり計算して1万人で1%。1,000人で0.1%。100人で0.01%である。つまり0.01%は、47都道府県で万遍なく2人ずつ事件を起こすとほぼ同数になる。
0.01%というのは1万分の1という数である。1万人に1人、特別に荒れた子どもがいるのは異状事態だろうか。いや、100人いる学年に数人いる場合だってざらにある。つまり、割合からすると、決して不思議ではない。しかし、確実に増えている感がある。
なぜか。
単純に、報道することが原因の1つである。メディアに取り上げてもらうことで、注目の「負の報酬」が得られる(クラスで望ましくない行為をして、担任の先生に怒られまくる子どもが得ているのと同じものである。癖になる)。そもそも、成人式で暴れるような新成人は、正の注目と報酬を得られなかった子どもたちである。愛情や承認の欲求を負の報酬で代償している。
暴走族を考えるとわかりやすい。暴走族の少年にとっては「迷惑行為」であることが大切である。さらに言うと、それによって、同じ年代の人々に注目されないと意味がない。逮捕も1つの「勲章」である。そしていい年になったら「昔は無茶をして…」が常套句になる。
暴走族の事件をいちいちメディアで取り上げてたら、その後大荒れになることが容易に予想できる。注目されたい少年たちの欲求を一気に満たすことができる。どうすればメディアに取り上げてもらえるか、いかに目立って暴れてやるかの競争になる。
報道されるから、暴れる。わざわざ暴れているところの写真や暴言の内容まで出回って、してやったりである。
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