戦前、戦後と沖縄が背負わされ続けた、不平等な歴史。沖縄の普天間基地問題は、国が沖縄を訴える裁判へと発展し、解決の糸口が未だに見えません。メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』では、沖縄が歩んできたこれまでの歴史を紐解くことにより、その問題の根本に迫っています。
沖縄が背負わされた不平等な歴史は今に始まったわけではない
沖縄と言えば、普天間基地を巡る対立は国が沖縄県を訴える異例の裁判に突入。先週行なわれた、翁長知事の意見陳述では、「日本に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか。国民すべてに問いかけたい」という言葉は非常に重く感じる。今の基地の問題だけでなく、沖縄の歴史、日米地位協定などが絡んでいる。そこを全部含めて考えて欲しいというのが翁長知事の訴えというように思う。
そもそも沖縄は琉球王国の時代(江戸時代)に薩摩藩に侵攻され、その後、明治時代に時の政府が「沖縄県」とした(1879年)。沖縄ではこれを「2つの収奪」といわれている。こういう歴史がありながら、第二次大戦末期には日本国内唯一の国内戦の舞台となった。戦争での死者は敵味方関係なく、沖縄本島南部の平和記念講演の「平和の礎(いしじ)」に刻まれ、現在も刻まれる方の数は増加しており24万1336名となっている。
なぜ沖縄が焦点になるかというと、アメリカ軍にとって沖縄は東南アジアをにらむ上で地政学的に非常に良い場所であるためこの地を離したくないからだ。1951年のサンフランシスコ講和条約に基づきアメリカ軍専用基地が多数つくられた。そして1960年に日米地位協定が結ばれ、沖縄の苦悩がここから始まった。
住民たちは「アメリカ兵も人間だから誠意は通じる」と基地建設反対を座り込みで訴えたが、願いは聞き入れられず「土地収用令」によって軍用地を確保し、ブルトーザーで住宅をつぶした。
現在、沖縄県の面積の11%がアメリカ軍基地。沖縄県の面積は日本全土の6%程度であるにも関わらず、日本にあるアメリカ軍基地の74%が沖縄に集中している。沖縄の人口は142万人だが、アメリカ兵が2万5千人駐留。アジア太平洋地区に駐留するアメリカ兵は約10万人であることから、そのうちの4分の1が沖縄に集中し、沖縄は重い負担を負っていることがよくわかる。辺野古の問題はいろいろなものが帰結して現在に至っているのだ。