ついにロシアも参戦したシリアへの空爆。それ以前から欧米を中心とした有志連合軍もシリアに空爆を繰り返していますが、情勢は一向に安定しません。この現状についてメルマガ『異種会議:戦争からバグパイプ~ギャルまで』の著者で元戦場ジャーナリストの加藤健二郎さんは、空爆で独裁者を殺害できる可能性はきわめて低いと断言、さらに米軍によるアサド派空爆の必要性を主張する日本人ジャーナリストを厳しく批判しています。
空爆と独裁者と温情の関係
シリア戦争やIS(イスラム国)を巡る戦いが脚光を浴びるようになってから、現場入りを看板にしてきたフリージャーナリスト陣が、現場入りしづらくなり、現場を見ずに自論や思想を展開する評論家思想家に転じている姿が増えている。カトケンの友人知人にも、そうせざるをえない人が増えてしまっているが、仕方ない流れなのかもしれない。
例えば、数年前までは現場を最大重視していた者が、現場を見ずに、アサド政権支配地域への米軍による空爆を主張したりしている。彼らが見てきたシリアは、反アサドのゲリラ勢力地帯であり、空爆目標にせよと主張するアサド政権側エリアではない。つまり、見ていない現場への空爆の主張ということになる。
まあ、他国への空爆を主張する人って、そんな程度だろう、という見方も間違ってないわけだが、元現場型ジャーナリストだった人たちは、イラクやアフガンなど、米軍空爆下の現実を見てきた者たち。空爆というものは、独裁者そのものを殺害できる可能性が著しく低くて、一般市民や下っ端の軍人たちを大量に殺す作戦だということは承知している人たち。そんなこと、現場を見なくても、過去の戦争の戦況推移を調べればわかるわけだが、なぜ、空爆を主張する人道派的な人が世の中にはいるのか。
それは、独裁者(権力者)の温情を信じているからなのだろうか。その温情とは、独裁者が「これ以上、我が国の大切な一般国民を殺さないでください。言う通りしますから」と改心することである。独裁者が「国民なんていくら死んでもいい」と思っていたら、空爆作戦と経済制裁は、ただ、一般人を苦しめるだけで意味がない。独裁者の温情に全てがかかっている。独裁者の非道を断罪する主張を繰り返す人道派が、独裁者の温情に頼る、というなんともモヤモヤするやり方なのだ。だから、戦争大好きで戦場往来を15年間やってきたカトケンとしても、空爆を好きになれない。
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