康芳夫が唯一オーラを感じた大物はPL教の教祖
-康さんはそんなアリ然り、他にもマイルス・デイビスにウガンダのブラック・ヒットラーことアミン大統領、国内なら正力松太郎さんから児玉誉司夫さん等々、表、裏の大物たちとお会いになってきました。その中で「本物の大物」と感じた方はどなたですか?
康 それはやっぱり御木徳近さん。PL教団の教祖。特に名前は言わないけど今最大の宗教団体があってそこのボス、それなんかと比べても全然スケールが違う。御木さんは、岡本太郎とか勅使河原蒼風とかも、彼らが土下座するくらいの力を持っていた。それは、もちろん作品を買うってことはあるんだけれども、彼らをひれ伏せさせるだけのオーラを持った人だった。今ああいう宗教家はいないし、そのPL教団でさえも今や潰れそうでね。
-逆に、実際会ったら「小物だな」という人物は?
康 それはね、まだ生きてる人もいるから、名前出すとやっかいだけど(笑)。僕は直感でね、会った瞬間に相手の器とか全部わかるんですよ。そういう意味で、御木さんも「尊敬する」とか「恐い」とかまではないけれど、一種の威圧感はあったね。でも、他の人はほとんど感じないから、オレから見れば、言ってみればみんな小物(笑)。
-普通に尊敬されたり、影響を受けた方というのは?
康 いないね。自分を尊敬してるから。オレ自体が一つの教祖だと思ってるから。
-以前、磯崎新さんへの畏敬の念について話されていました。
康 もちろんリスペクトしてますが、それも僕と同じレベルの中で、上ということではなくて。磯(崎)さんは、その世界の中であらゆる意味で非常に優れた思想家、知識人として、影響力を持って、世界の建築家に影響を与え続けている。僕の人生の中でも非常に重要な要素の人ではありますけど、尊敬とはまた違うんだけどね。
-アリは?
康 彼は極めて特異な人物だと思っています。極めて、特異。彼は今病気になっちゃって、それはオレも夢に見るくらい、色んな意味で追い込まれちゃって。あの世界的英雄がああいう状態になるとは、これもある意味時々刻々というか、すべて時間ですよね。僕は、アリは極めて特殊な二度とでてこない、得難いキャラクターだとは思っているけど、オレがそれに左右されるということはない。ただ、色々な意味で感じることはあったね。あくまでも俺は俺。
-先ほどのPL教団教祖、御木さんは?
康 御木さんもね、色んな意味で感じることはあるけれど、それによってオレが支配されるということはない。一つの要素刺激として取り入れることはあるかもしれないけれど。
-康さんが大学卒業後、石原慎太郎さんの紹介で入られた「アートライフ」社長、有吉佐和子さんの夫でもある神彰さんは?
康 神さんも非常に面白い人で、色んな意味で教えられました。でも学んだのは仕事の上でのことで、「尊敬する」ということになると色々やっかいで、まあ僕は彼の実態は全部知ってるしね。ただね、一つ言えることは、「誰も尊敬する人がいない」ということはある意味で寂しいんだよ。オレが最終決断者だから。つまり、スフィンクスみたいに全世界をへいげいしているということ。それは今でも本当にそう思ってる。
-康さんのルーツは中国ということで毛沢東の名は浮かびますし、ドストエフスキーやニーチェ等々、歴史上には様々な知の巨人、哲学者がいます。
康 毛沢東は哲学者であり、政治家でもあって、彼は一つ僕にとって重い課題でもあります。毛沢東の哲学には非常に興味を持っています。ただね、「影響を受けた」とか「乗り越えられちゃった」といった、そういうことはないですね。まあ、彼は政治家として最終的に大失敗してるわけです。だから、政治家としては買ってないけど、哲学者としては非常に面白い。毛沢東を始めとして、マルクス主義の哲学と政治はまったく別の物。一緒くたにするのはおおまちがい。ドストエフスキーも面白いとは思うけど、彼の場合は類稀なるキリスト教のパブリシティ・マネージャーだから。彼の書いたものは全部キリスト教に関係していって、そういう意味で僕はドストエフスキーの限界を感じて、彼は最後にキリストに屈服するわけ。僕は別にキリストにひれ伏すということはない。
-現在活躍している方で、共産主義と超高度情報資本主義の両方を共存させる思考の例として、スラヴォイ・ジジェクさんの名を出されていました。
康 ジジェクは今一番最先端をいくコミュニストですよね。彼は、非常に刺激的ではありますね。まあ、それは情報の一部としてとるわけです。つまり、僕の綜合的哲学、文明観を強化するための栄養であって、でもそれは君たちだって僕に色々なことを教えてくれる。そこは僕は非常に敏感に、そういう意味で、ドストエフスキーもジジェクも君たちも、僕にとっては変わりないんだ(笑)。